今、わたしの前に机がある。
その机の上にCDがある。
CDの題名は『クリムゾン・キングの宮殿』という。
CDのアーティストはキング・クリムゾン。
発売は1969年。
わたしにわかっていることはそれだけだ。
わたしはそもそも洋楽は聴かない人間だし、キング・クリムゾンがどんな音楽グループなのかも知らない。
この『クリムゾン・キングの宮殿』の3曲目に「Epitapu(墓碑銘)」という曲が収録されている。
人生に行き詰まったとき、わたしの頭の中でまるで呪いの文句のようにこの「墓碑銘」という曲が流れ出すのだ。
・・・胸が苦しい。
わたしは今夜も悪夢を見るように思い出すのだ。
「あの日」起きたことを。
それを思い出すたびにわたしは引き裂かれる。
それでも何度も何度も何度も何度も、強迫観念のように「あの日」は襲ってくる。
わたしはこのCDのジャケットに描かれている顔のように顔を歪め、恐怖に絶叫する。・・・
※ ※
1990年代前半、わたしは東京都の某大学の学生だった。
教育学科に所属していたわたしは「倫理学研究会」というサークルに所属していた。
そこに彼はいた。彼の名前は「H」(仮名)といった。
Hは経済学部の学生であった。
短髪でこざっぱりとした好青年だった。
最初は遊び友達だった。
わたしとHは交通量調査のアルバイトをしたり、遊園地に遊びに行ったり、秋葉原の石丸電器で一緒にLD(レーザーディスク)を漁ったりしていた。
この当時、わたしは若干21歳。
まだわたしはなにも知らないガキであった。
そんなガキが遊び友達に好意を抱き始めても不思議はないだろう。
わたしはHの家に遊びに行ってパジャマ姿でじゃれあったり同じ布団で抱き合ったりするようになった。
それはオトナの世界で言う「同性愛」にはまだまだほど遠い子供のお遊びのようなものだったといえる。
わたしはまだ愛とはどういうものか知らなかったし、それは子供の遊びの延長線上にある歳若い男の子同士のお遊びでしかなかった。
そんなある日、わたしは大学の正門でHに声をかけた。
季節は夏、時間は夕方ごろだった記憶がある。
そのとき、それは起きたのだ。
Hはわたしを無視した。
理由はわからない。
Hはわたしを無視して歩きだした。
わたしはHに声をかける。
しかしHは振り向かない。
わたしは焦った。
それでもHは振り向かない。
振り向かない、振り向かない、振り向かない。
Hが行ってしまう、行ってしまう、行ってしまう。
手の届かないムコウへ。ムコウへムコウへムコウへムコウムコウムココココ・・・ムム・・・コ、ウ・・・ウ、・・・
わたしは絶叫する。
「あああああああああああああああ======!!!』
夢だった。
悪夢だった。
時間はAM2時。
わたしは汗びっしょりで眼を覚ます。
しかしこれは本当にあったことだ。
1991年のある生暖かい初夏の日の夕方に本当にあった出来事なのだ。
もしわたしがHにフラれずにそのままHと愛情を育んでいたらわたしはゲイになっていたかも知れない。
しかしわたしはゲイになれなかった。
もちろんヘテロでもない、バイセクシャルでもない。
「コワレモノ」・・・オトナに成り損なったグロテスクな大きなコ・ド・モ。
「あの日」からわたしは「愛」というものを掴みそこなったコワレモノのにんげんとして彷徨(さまよ)っている。
ずっとずっとずっと歩き続けている、彷徨っている、迷路の中を迷い続けている。
「目覚めない・・・悪い夢みて目覚めない そしてそのまま現実(うつつ)となった」(自作の短歌)
今、わたしの机の上にある『クリムゾン・キングの宮殿』、このCDはHからもらったものだ。
その中の一曲である「墓碑銘」が今夜も頭の中で鳴り続けている。
King Crimson - Epitaph(墓碑銘)
作詞:Peter Sinfield
「予言者達が書き付けた壁は、
割れ目から崩れ落ち、
殺戮の道具の上に、
日の光は燦然と輝く。
あらゆる人が悪夢や夢想とともに
引き裂かれていく時、
栄冠など何処にもありはしない、
静寂が叫びを呑み尽くしてしまう。
破滅の定めの鉄門のもとに、
時の進行の種子は播かれ、
聡明かつ著名な偉人達の行ないが、
水を与えてきた。
掟を決める者がいないのなら、
知識とは死を招く友。
全人類の破滅の定めは、
愚者どもの掌の上にあるようだ。
錯乱こそ私の墓碑銘となろう。
ひび割れ荒廃した道を私は這い進む。
どうにかなるものなら腰を下ろし笑ってもいようが、
しかし 私は明日が怖い 私は叫び続けるだろう。
そうだ 私は明日を怖れ 私は叫び続けるだろう。」
それでは最後にわが墓碑銘(Epitaph)に、この言葉を手向(たむ)けること本日ので日記を締めさせていただく。
さらばHよ。
さらばわたしの青春よ。
俺たちが死のうとした夜も終わった。
星、夜空、そして限りのない闇よ。
・・・救済(Relief)。
「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』第9章(最終章)より引用。
(了&合掌)