浜田知明・恐怖版画の世界
(本稿は2018年7月における浜田知明氏の死去に伴う追悼講演である。)
Ⅰ 浜田知明との出会い。
今年の春3月、わたしは東京&千代田区&神保町で古書を漁っていた。
その日のターゲットは靖国通りにあるA書店&美術書専門の店である。
わたしの古書蒐集分野は主に詩書&歌書の初版本と戦後限定本である。
故に美術書の分野にはわたしは門外漢なのであるが、詩書&歌書の蒐集がひと段落してしまったので、最近は美術書にも手を出し始めている始末である。
まず山本六三、アルフォンス・イノウエといった昨今の人気版画家の本が目に入ってきた。このふたりの版画家は「耽美な画風」というのが売り物であるらしいが、「耽美」なんていう当世風のモノを理解できない朴念仁であるわたしにはイマイチこういう人たちの版画の良さがピンとこないのであった。
次に小林ドンゲ、宮下登喜雄など昭和の時代に人気を博した版画家の本を観る。作風はわたし好みである。しかしこういう人たちの本は昨今は古書市場に溢れすぎていて、古書価の暴落が甚だしい。わたしは古書を蒐める時「内容」と同様に「今後の古書価」も重視する人間である。ゆえに今さら飛びついて買うこともない。
とその時であった。
『浜田知明作品集』(求龍堂)という本が目に飛び込んできた。
わたしはこの「浜田知明」という人物を過去に知っている。
確か『フィロビブロン 書物への愛』(大阪フォルム画廊)の口絵版画を担当した版画家である。
わたしはまず本を書棚から取り出して、1ページ目を開いた。
そのとき、ぞわっと無数の蟲がわたしの足から胴体に向かって這い上がってくる感じがした。
その絵は一度見たら忘れられないであろう。
百聞は一見に如かず。
これが1ページ目に載っていた「ある日・・・」という版画である↓
真ん中に子供がいてなにかを絶叫している。
その後ろには無数の戦闘機やヘリコプターの群れ。
ステレオタイプに解釈すれば、これは戦争への嫌悪感を描いた版画であろう。
しかしわたしは全く違うことを感じていた。
この中心にいる子供が松竹の怪奇映画である『震える舌』の主人公の子供と一瞬オーバーラップしたのだ。
『震える舌』は破傷風に冒された子供が辿る残酷な運命を描いた映画である。
するとこの「ある日・・・」の画面の真ん中で絶叫している子供は、今まさに破傷風の発作を起こしているのではないか?そして背景に見える無数の戦闘機らしきものは実は破傷風菌の群であるのかも。。。
わたしは心底ぞおっとした。
なぜならわたし自身が映画『震える舌』の影響で破傷風の恐怖に怯えた時期があるからだ。
こういう解釈をナンセンスと嗤う者もいるだろう。
しかし藝術作品とは作者と鑑賞者の合作で完成するというのがわたしの主観である。
浜田知明という版画家が「戦争への恐怖」を描いた作品を、わたしが「破傷風への恐怖」として解釈してもなんの不思議もない。なぜなら「病気」もまた「体内で起こっている戦争」であるからだ。・・・
Ⅱ 自己破壊願望という狂気。
次にわたしはページをめくった。
「あっ!!」とわたしは叫んだ。
この版画をわたしはありありと知っている。
これは講談社文庫の『遠藤周作怪奇小説集』にカバー絵に使われた絵である。
「狂った男」↓
奇妙な風体をした男が階段を登っている。
この階段はどこに続いているのだろうか??
わたしが推測するに、この階段の天辺にあるものは恐らく「絞首台」。
男はみずから処刑を望んで13階段を登っているのだ。
奇妙なことだと思うだろうか?不思議なことが起こっていると思うだろうか?
わたしは全くそう思わない。
犯罪心理学が曰く「自己破壊願望」、そのようなものをわたしはこの絵から強く感じる。
そのような「死刑台への逃走」というテーマをこの絵は描いているのではないか。
わたしも高校時代に通行人の背中を刺身包丁でズブッ!!と刺すのではないか??という不合理な強迫観念に襲われたことがある。その根底にあるのはきっと不合理な「処罰への欲求」。・・・あるいはそれは一種のマゾヒズムでもあるのだろう。
わたし自身がそのような強迫観念に苦しめられたことがあるからこそ、わたしはこの「狂った男」という版画の含意する作者の意図がありありと理解できるのである。
Ⅲ 「戦争」はなぜ恐ろしいのか?
さてさらにわたしはページをめくる。
するとこのような絵が目についた。
わたしの手足が小刻みに震えだした。
さてわたしは何を恐れているのだろうか?
「初年兵哀歌 ~便所の伝説~」↓
若者らしき人物が便所で首を吊っている。
題名から察するにこれは「初年兵」(新人の兵隊)であるのだろう。
さて、彼はなぜ首を吊ってしまったのか。
ここでこの版画を解読する絶好のテクストがあるので紹介する。
「私は本来人間は基本的に平等であるべきものだと信じていた。しかるにこの軍隊という社会は、一つ星の初年兵を底辺としてピラミッド状に階級があり、その階級差 と年次とを厳格に守ることによって秩序が維持されていた。旧日本軍隊のやり切れなさは、戦場における生命の危険や肉体的な苦痛よりは、内務班や内務班の延長上にある戦場での生活において、戦闘行為遂行に必要な制度として設けられた階級の私的な悪用からくる不条理にあった。」
『浜田知明展カタログ』(1979年)より引用。
これは実際に太平洋戦争を体験した浜田知明自身の言葉である。
「階級の私的な悪用からくる不条理」とは言うまでもなく「いじめ」を指していることは明白である。
「いじめによって便所で首を吊っている若者の絵」。
わたしは手で顔を覆って絶叫した!!
今まさにわたしの頭の中でフラッシュバックが起こったのだ。
「止めろ!!止・め・ろ!!ヤ メ ロ~!!!」それだけは絶対に思い出したくないんだ!!
「それ」とは言うまでもない。
「わたし自身が体験したいじめ」である。
中学校の三年間、わたしはクラス内カーストの最下位に位置していた。
そして吹き荒れた暴力&言葉の暴力&無視&悪口、その他想像を絶する嫌がらせの数々!!!
そんなわたしにとっての暗黒時代の記憶を、この「初年兵哀歌 ~便所の伝説」という一枚の版画がわたしの深層意識から無理やりに引きずり出したのだ。
恐ろしい。
なんという恐ろしい版画家であるのか。
浜田知明は。
わたしはもちろん戦争に反対の人間である。
しかし今まで「なぜ戦争に反対するのか?」と問われると答えに窮する部分があった。
しかし浜田智明の「初年兵哀歌 ~便所の伝説~」を体験したわたしは自信をもってこういうことができる。
「戦争とはカタチを変えたいじめである。マクロの視野に立てば、戦争とは国家が国民に対して行なういじめであり、ミクロな視野に立てば、戦争とは軍隊内部において上官が部下に対して行なういじめである。」・・・
戦争は人間のもっとも醜いぶぶんをありありと抉(えぐ)り出す。
それは単純な左翼的イデオロギーに根拠を持つ戦争反対ではない。
わたしは「もういじめられたくない」のだ。
人生の最初でいじめられて、さらに人生の後半でもいじめられたくはない!!
わたしの戦争反対はそういう「皮膚感覚での不快さ」が根拠にある。
Ⅳ 浜田版画の世界を求めて。
さて、話が長くなった。
浜田智明の恐怖版画の世界の地獄巡りもここらで一端置く。
浜田知明氏は99歳でいまだ存命である。
わたしが浜田氏の版画を「恐怖版画」と呼んだら、浜田氏としては誠に遺憾であるのかもしれない。
しかしわたしにとって、浜田版画の世界は「観るだけで身の毛もよだつ」世界なのだ。
それはわたし自身が最も見たくないと思っているトラウマをわたしの記憶の世界から残酷に引きずり出す。
それは人体から極彩色の内臓を引きずり出す外科医のテクニックにも似てあまりにおぞましい。
しかし一瞬でもいいからそんな内臓をチラリと覗いてみたい。
そんな無機質な無影燈に照らし出された恐るべき外科手術台の上の世界、それがわたしにとっての浜田智明の版画世界なのである。
(了&合掌&南無阿弥陀佛)
(2018年7月。この講演の初稿は2017年5月に行われた。黒猫館&黒猫館館長)