わたしは先日ある読書家A氏に訊いた。
わたし「最近面白かった本はなにかありますか?」
A氏は即座に答えた。
「中井久夫」。
さてわたしはこの「中井久夫」氏なる人物についてよく知らない。
そこでわたしはグーグルで「中井久夫」氏について調べてみた。
グーグル「中井久夫 (1934年1月16日 - )は、日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学、病跡学。神戸大学名誉教授。医学博士。文化功労者。)
むむー、、、なるほど医学関係の偉い人なのね。
どういう人物なのかはわかった。
次はこの著者のどんな本を読んだら良いのだろうか??
わたしはアマゾンで検索して、あまり「医学的すぎない(専門的すぎない)」本を選んだ。
それがみすず書房から出版されている『アリアドネからの糸』↑である。
この『アリアドネからの糸』は冒頭に「いじめの政治学」という一章が設けられている。
この部分が特にわたしの気を引いた。
わたしは即座に『アリアドネからの糸』を読んで思った。
わたし「なるほど~。。。この本は確かに「本物」でありものごとの核心を突いた本である。」
さてわたしはこの本のどういう部分に感心したのであろうか??
そこで、今回は話題を拡散させすぎないために、冒頭の第一章「いじめの政治学」に話を絞って論及してゆく。
「いじめの政治学」とはいったいどんなエッセイなのか?
ここからは話を明確にするため、箇条書きで書いてゆく。
(前提)
1=人間は「睡眠欲」「食欲」「異性への情欲」と共に「権力欲」という欲望を持つ。
2=「権力欲」は他人を支配し服従させたい、思い通りにさせたいと言う欲望である。
3=子供は家庭や学校で権力欲を制限されている。
4=故に子供同士の世界では権力欲が爆発する。
5=権力欲が他の子供に向けられたとき「いじめ」が発生する。
6=「いじめ」は「孤立化」「無力化」「透明化」の三段階を経て進行する。
ここでわたしは思った。
へえ~、、、「権力欲」というのは初耳だな。
しかしそういわれてみれば、わたしも他人を思い通りにさせてみたいと思ったことはある。
確かに他人を思い通りにさせたらさぞ痛快であるだろう。
この痛快さに取り付かれた人間が「ファシスト」「独裁者」とオトナの世界では呼ばれるわけだよな。
子供の世界ではそういうガキを「いじめっ子」と呼ぶわけか。
なるほどねぇ~。
さて前提に続いていじめの三段階へ論及は続いてゆく。
Ⅰ>「孤立化」
1=まずいじめられるターゲットになる子供が選ばれる。
2=ターゲットにならなかった子供は危険を察知してターゲットにされた子供から離れてゆく。
3=「いじめられるのはいじめられる理由がある」というPR(ピーアール)が行なわれる。
4=ターゲットの身体的特徴やクセ、「けがれ」などが繰り返し宣伝されて、ターゲットへの差別感情が周囲の人間の内面に生み出される。
5=PRはターゲットにされた子供の内面まで浸透してゆく(じぶんはいじめられても仕方がない。)
6=ターゲットにされた子供は「警戒的超覚醒状態」という特殊な心理状態に置かれる。
7=ターゲットの身体の中で自律神経系、内分泌系、免疫系に異常が出始める。
さてわたしはこの「孤立化」の段階を読んでぞわっと背中に冷たい汗が流れ始めた。
確かに「いじめ」と「孤立」あるいは「周囲からの無視」は同時に始める。
いじめられっ子に友だちがいないのはこういう「孤立化」といういじめの戦略的テクニックが働いているらしい。
いじめはまさに「用意周到に」準備され行なわれるのだ。
そしてもうひとつ強調すべきことは、いじめはいじめられっ子の内面に「罪悪感」を産みつけることが重要なテクニックとして行なわれる、ということである。
罪悪感はいじめられっ子に「罰を乞う」という異常な心理状態に置く。
これはいじめっ子にとって非常に好都合である。
わたしは冷や汗を流しながら思った。「これはこわい本だな~、、、しかし読み進めなければ。」
というわけで次に段階に進む。
Ⅱ>「無力化」
1=ターゲットはまだ完全に屈服しておらずひそかに反撃の機会を狙っている。
2=いじめっ子はそこが不安である。いじめっ子は次なる戦略として、ターゲットから完全に力を奪うことをもくろむ。
3=いじめっ子はターゲットに「反撃は一切無効だ」と教育してターゲットを完全に観念させようとする。
4=いじめっ子はターゲットの微かな反抗の気配にも過大な罰を与える。
6=いじめっ子はターゲットの内面まで「教育」する。ターゲットは「じぶんは劣った卑しい人間だ」と思い始める。
7=繰り返される「教育」によってターゲットはいじめっ子への自発的隷従を開始する。実はこれが「無力化」の段階におけるいじめっ子の目的である。
わたしはここまで読んでこれはナチスの手口をおんなじじゃん、と思った。強制収容所に入れられたユダヤ人たちがなぜ「反抗」せずに殺されていったのか。繰り返される「教育」と自発的な「隷従」という異常な関係が加害者と被害者を結合させていたのである。あまりにも恐ろしいいじめのテクニック。
さらに論及は続く。段階は最終段階「透明化」に至る。
Ⅲ>「透明化」
1=この段階からいじめは「透明」になってゆく。
2=すなわちいじめが周りの人間から「あたりまえ」なものになってゆく。
3=もちろん周りの人間だけではなくターゲット自身の内面でも「じぶんでじぶんが見えなくなって」ゆく。
4=ターゲットの内面では世界がどんどん狭くなってゆく。
5=ターゲットの内面ではもはや「じぶんといじめっ子」の二者しか世界に存在していない。
6=ターゲットの時間感覚も変化を始める。「このいじめは永遠に続く」。
7=もはやターゲットは無限に続く「苦痛」のみしか感受できなくなる。
8=ターゲットは奴隷にして罪人、こうしてついに「いじめ」は完成する。ここからターゲットが脱出するのは「自殺」しかない状態。
これは地獄だ。
しかも地獄に何段も階層があるように、この「透明化」の段階は地獄の最下層「阿鼻地獄」と同質である。
あるいはナチスの絶滅収容所。
絶望だけが支配する異次元空間。
「死」だけがその場所から出る出口。
・・・わたしは震える手でパタンと本を閉じた。
なるほどな。これがいじめのメカニズムというものか。
人間とはなんという恐ろしいものか。
自分自身がいじめられっ子であったという中井久夫氏の静かな怒りがひしひしと伝わってくるような白熱の論及であった。
いじめはなにより心を殺す。
いじめを受けた子供は一生にわたって罪悪感に苦しむだろう。
わたしもまたいじめられ体験者である。
だからいじめについて言いたくない。
「じぶんがいじめられっ子であった」なんて恥ずかしくてとても言えないではないか!!
しかしその「恥」もいじめっ子がわたしの内面に植え付けた「罪悪感」のヴァリエーションであったのだ。
かつていじめられていた諸君よ。
まず隠さずに「じぶんはいじめられっ子であった。」と正直に言おうではないか。
そこからいじめについての議論が始める。
まずいじめられたということは恥ずかしいことではないと確信する。
それからいじめについて口を開く。
それがいじめという問題を可視化する第一歩なのである。
わたしは幸いにも「透明化」の段階までいじめられなかった。
廃人にされる一歩手前で助かったわけである。
いじめによる「廃人」、すなわちいじめによって一生をメチャクチャにされた人間をもう出してはならない。
ゆえにまずいじめを「問題」として対象化する。
それがいじめ問題解決への第一歩なのである。
いじめは「透明性」を帯びた現象である。
だから見えない。
問題にされにくい。
しかし勇気を持ってこのように叫ぶことが肝要なのである。
「いじめは現にそこにある!!」
学校にも会社にも家庭にも趣味の同好会にもネット社会にも老人ホームにもいじめは遍在する。
そしてありとあらゆる人間たちがいじめの恐怖に怯えている。
「次は自分の番なのではないか。。。」
最後に『アリアドネからの糸』の著者である中井久夫氏自身がいまだに現在でも太平洋戦争中に受けたいじめの後遺症に苦しんでいる、という事実を付け加えておく。
「いじめは今も続いています・・・」
(了&合掌)