鬼畜大感想
(講演日=2017年8月20日(日))
1 夜ごとの電話。
りりーん・・・
りりーん・・・
りりり・・・・ん・・・
どこからか電話の音が聴こえてくる。
時間は午前2時の深夜。
平日の夜である。
深夜アニメ『幸腹グラフティ』というほのぼのとした作品をニッコリ笑いながら観ていたわたしの表情に一抹の影が刺した。
わたし「ああ、ヤツだな。。。」
わたしはスマホを取って電話を着信した。
マスターK「ひひ・・・ひーーーーーっひっひっひーーー!!わ・た・しだ。。。」
Kのいささか大げさなこういった登場の仕方には慣れているのでわたしは驚かない。
ヤツがまたなにか不吉な情報を携えてきたのだろう、とわたしは眠たい頭でぼんやりと思った。
マスターK「指令。『鬼畜大宴会』という映画を観ろ。そこにお前に必要なものがある。」
Kはそこまでしゃべるとガチャリと電話を切った。
さて、そもそもわたしはこのマスターKなる人物の顔を見たことがない。
ただ電話でのみ要件を伝え、そして切る。
昔はKの正体を探ろうとした時期もあったが、最近はどうでも良くなってしまった。
電話でのみつながる交友関係。
そのようなものもあっていいだろう。
さてそんなことより今夜の出し物『鬼畜大宴会』とはなにか?
それが真の問題だ。
わたしはパソコンのスイッチを入れると『鬼畜大宴会』について調べ始めた。。。
2 「不快な映画」
さて『鬼畜大宴会』とは一体どういう映画なのだろうか?
ネット上で得られた情報は次のとおりである。
「カリスマ的リーダーを失った学生左翼組織の狂気の暴走の中に、人間の醜いエゴを描いた過激なバイオレンス・ドラマ。監督・脚本は、本作でPFFアワード ' 97準グランプリを受賞した熊切和嘉。撮影を橋本清明が担当している。尚、今回は監督自らが再編集したPFFでのヴァージョンより6分短い完全版での公開となっている。第28回イタリア・タオルミナ国際映画祭グランプリを受賞。第48回ベルリン国際映画祭正式出品、第20回ぴあフィルムフェスティバルPFFアワード'97準グランプリ。」
さてこれだけではなんのことやらわからないだろうから、わたしがこの映画について補足する。
まずこの映画は大阪芸術大学の学生が卒業記念に撮った学生映画である。一般の商業ペースの世界で作られた映画ではない。
学生映画であるから色々と未熟な点や至らない点があるだろう。
しかしそういう至らない点がこの映画においては不思議なリアリティを持って迫ってくるのだから映画というものは面白い。
さってネット上の『鬼畜大宴会』について書かれた評はこんなのがやたらと多かった。
それはズバリ、、、「不快な映画」。
観た後にいやな感じになる映画。
黒板を金属で擦(こす)ったときにでる不快音のような映画。
そのような不快な「暴力」に満ちている映画。
わたし「ひひ。。。ひーーーーーっひっひっひ!!!」
わたしは口を耳まで裂いて哄笑した。
わたし「不快な映画、結構やんけ!!見せてくれよ!!極限のヴァイオレンスとやらを!!・・・ひひ・・・ふひーーーーーーーーひっひっひ!!」
3 暴力への誘惑。
実を言うとわたしは「暴力」というものに魅せられている人間である。
わたしの中学&高校時代はまさに暴力の宴であった。
・いじめられっ子がいじめっ子にキリを投げつけた。そのキリはいじめっ子の眼に当たった。
・校則を守らない生徒が教師に殴られてぼこぼこにされた。その教師は生徒を空手で殴った。
・生徒同士のケンカがあった。一方の生徒が他方の生徒の頭をバットで殴った。殴られた生徒は口から血を一リットルも吐き出した。
こういった本当か単なるウワサなのかわからない情報が当時の「学校」には氾濫していた。
もちろんいじめ&ケンカ&無視&小競り合いの噴出する学校生活でわたしは世界への憎悪を育んでいた。
わたしは高校生のときに『ギニーピック』はすべて観ているし、『ジャンク』&『デスファイル』といった残酷ドキュメンタリーにはほとんど目を通していた。
まさに暴力(ヴァイオレンス)の英才教育!!
わたしはそれを自分に課していたのだ。
さらに大学に進学してわたしは「自分の大学で中核派にリンチされて死んだ学生がいる」という風評を聞き、そのまま血の臭いに吸い寄せられるように「戦旗派(せんきは)」という学生左翼グループに出入りするに至った。
今にして思えば、わたしはよくもまあ血とヴァイオレンスに満ちあふれた左翼グループの中で生き残ることができたと思っている。
わたしは「戦旗派」の内部で左翼VS右翼の抗争(長く四角い角材で殴りあう)を目撃したし、私刑(リンチ&人間を頭陀袋に入れて多数の人間で蹴りを入れる)の一端をチラリと目撃したこともある。
大学から大学院に進学したわたしは左翼思想と決別して、ニーチェの思想を専攻した。
しかしニーチェの思想とてあの「金髪の野獣」の章(ナチスに利用されたといわれている。)をわざわざひもとかなくても血とヴァイオレンスに満ちた世界であることぐらいは読者のみなさまもご存知のことであろう。。。ふふ。
さよう、わたしの青春はいつも暴力とともにあった。
そんなわたしに『鬼畜大宴会』という映画とは!!
暗黒の魔導士&マスターKがわたしにこの映画を勧めてくるのも無理はないではないか!!
4 「鬼畜大宴会」
さてわたしは近所のゲオに『鬼畜大宴会』を借りるためにスクーターで走った。
するとなんと奇跡的に『鬼畜大宴会』が一枚だけあるではないか!!
わたしは狂喜した。
わたしはある吹雪の夜の深夜に『鬼畜大宴会』をDVDプレーヤーに入れて観始めた。
画質が荒い。
さらに音声が低いので何を言っているのか聴こえない。
この音声の不具合のせいでストーリーが満足に掴めなかったということは製作者側に苦言を表明しておこう。
しかしはっきりいってしまえばストーリーなどこの映画にとってどうでもいいことなのだ。
観るべきは「宴会」!さよう、、、血とヴァイオレンスの宴(うたげ)を観ればそれでよい!!
・頭をライフルでぶっ飛ばされる男(ぶっ飛ばされた頭からは噴水のように血が溢れている。)
・男性器をナイフで切り取られる男(これはリーダー格の女が切り取った。)
・日の丸が貼ってある部屋で暗黒舞踏を踊る女。
・その女の膣にライフルを押し当ててぶっ放す男(はらわたが飛び散る。)
などなど。
不快。
あくまで不快な映像の群れなのであろう。
一般の健康的な「市民」の方々には。
しかしわたしは違う考えを持っていた。
5 さわやかな後味。
『鬼畜大宴会』を観てわたしはさわやかな気分に襲われた。
これは逆説を弄しているわけではない。本当にさわやかな気分になったのだ。
青春期のどろどろと鬱屈した不安感。
そのようなものが一貫して映画の基調低音として流れていた。
思えばわたしの青春期もこういったどろどろとの闘いであった。
誰か人を殺してみたい。
そんな苛々と不快感に満ちあふれたわたしの青春。
それを『鬼畜大宴会』という映画が見事に代弁してくれたのだ。
青春とはけっしてさわやかなものではありえない!!
そんなことはこの稿の読者の方々なら十分に承知のことだろう。
青春とは絶えず襲い掛かる苛々と闘いながら、将来へ向かっての苦行(勉強&スポーツなど)を強いられる時期なのである。
青春がさわやかだなんて誰が言った!?
その点、この『鬼畜大宴会』の世界には嘘がない。
見事に青春の鬱屈と暴走を描いてくれた。
わたしは幸いなことに青年期に人を殺さなかった。
この『鬼畜大宴会』のスタッフ&キャストの学生もこの映画を撮ったことで苛々(いらいら)は藝術へと昇華され、犯罪へと走ることはないだろう。
そういう意味でこの『鬼畜大宴会』はまことに幸福な正真正銘の「青春映画」であると言って良いだろう。
「不快さ」を極限まで突き詰めることで『鬼畜大宴会』はさわやかな青春映画となりえたのだ。
嗚呼、願わくばこの素晴らしい映画を一人でも多くの青少年が観ることで、本当の犯罪に彼らが手を染めることがないように!
それが現在のわたしの切なる願いである。
(了&合掌&南無阿弥陀仏)
(黒猫館&黒猫館館長)