さよならニーチェさん、おひさしぶりデューイさん
(講演日=2016年6月16日)
(↑教育学科時代に読まされたデューイの著作)
わたしは教育学科出身のにんげんである。
とこういうふうに書くと、わたしをよく知っている人々はこう質問するだろう。
「あれッ!?貴方、哲学科出身ではなかったの??」
それは半分合っている。
ゆえにさらに正確に言うとこういうことになる。
わたしは大学で教育学を専攻し、大学院で哲学を専攻したにんげんである。
つまり教育学を一度専攻したが、それが途中で嫌になって哲学科へ編入したわけである。
なぜわたしは哲学科へ途中から編入したのか??
それは今だから言える。
「若気の至り」ではなかったのか。
当時、わたしはニーチェの「神秘思想」に心酔していた。
曰く「永劫回帰説」。
曰く「超人思想」。
ニーチェ研究者たちはここを避けて通りたがる。
大抵のニーチェ研究者たちは口をそろえてこのように言う「それらはニーチェの思想にとって重要な部分ではない。」
そういって逃げるのだ。
しかしニーチェは物理学的に永劫回帰説を証明しようとしていた。
つまり晩年のニーチェは確実に神秘思想の領域に足を踏み入れていたと思われる。
ニーチェのこういう「アブナイ」部分に若干、中二病の入っていた哲学青年だったわたしがひきつけられたのは当然の成り行きだろうと思う。
わたしは大学院でニーチェの原文(ドイツ語、しかも現代のドイツ語ではなく19世紀の古ドイツ語である)を読まされて頭をひねった。
わたし「くー!!わからん!!」
当たり前だ。
晩年のニーチェは確実に精神に異常をきたし始めていた。
そういう人間の書いたものをそう簡単にわかるわけがないのだ。
結局、わたしは永劫回帰説や超人思想ではなく、ニーチェの思想の中でも比較的、現実的でわかりやすいと思われる「ルサンチマン論」で修士論文を書いた。
もちろん口頭試問での教授陣の反応は良くなかった。
当然なことである。
途中から永劫回帰説からルサンチマン論へ研究の趣旨を変えてしまったのだから。
結局、そこでわたしの哲学研究は途絶えることになる。
わたしは修士論文を書いた後は、博士課程に進学することなく大学院を飛び出してしまった。
さてそれから哲学とは無縁の20年の歳月が経った。
わたしは最近よく考える。
結局、わたしのやりたかったことってなんなのだろうか??
ここに一冊の文庫本がある。
デューイの『民主主義と教育』。
この本をわたしは大学一年の夏休みの宿題に読まされた。
この本がどういうわけか気になってしようがない。
ジョン・デューイとは米国のプラグマティズムを代表する哲学者である。
プラグマティズムとは「実用主義」と訳される。
つまり「役に立つか、役に立たないか」で価値判断を行なう哲学である。
いわばニーチェのような神秘思想と対極にある極めて現実的&功利的な哲学であるといってよかろう。
そんなデューイの書いた教育論の本が『民主主義と教育』なのである。
教育学への回帰。
わたしは今こそ初心に帰ろうと思う。
「教育」。
大学一年の時代のわたしは確かに「教育」というジャンルを志していたはずだ。
最近のわたしはその時代までさかのぼってやりなおそうと思っている。
教育とはなにも教員になって生徒に学問の基礎を教えるだけのものではない。
生涯教育の重要性が叫ばれる現代では、「教育」とは学校の教員だけが行なうものではない。
社会の成員ひとりひとりが「教育する&教育される」主体と客体たりうるのだ。
「教育」とは明治時代に作られた英語の「 education」の訳語である。
さらに「 education」の語源はラテン語の「ducere(連れ出す・外に導き出す)」という語に由来する。
つまり「教育」とは身近に接する人間の「長所を引き出す」、これだけでもじゅうぶんに立派な教育たりうる。
もちろん、そういう人間として行動するためにはわたし自身が日々の精進を忘れていてはいけないだろう。
「他人の能力を引き出すように、他人と接する人間。」
そういう人間にわたしはなりたい。
そのための第一歩としてまず「初心を思い出す」こと。
つまり学部学生時代に読まされたデューイの『民主主義と教育』に再チャレンジすること。
これが2016年夏現在のわたしの抱負である。
なに恐れることはなにもない。
人生には「遅すぎる」ということはなにもないのだから。
(了&合掌&南無阿弥陀仏)
(黒猫館&黒猫館館長)