『コレクションと人生』
(2016年2月15日講演)
(↑筆者が土屋書店で始めて買った詩集&吉原幸子『幼年連祷』(歴程社&室生犀星賞受賞詩集↑)
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わたしは自分のホームページでわたしの古書コレクションで最も重要な位置を占める「戦後詩集」の書影の展示を継続して行っている。
詩集コレクターの間では必携の書と言われる小寺謙吉『現代日本詩書総覧』(名著刊行会・限定500部)には量的にはまだまだ及ばないが、質的にレヴェルの高い書誌を制作を目指して日夜、書誌の制作に励んでいる。
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思えば学生時代から25年以上、わたしの人生は古書と共にあった。コレクションの過程で、めずらしい蔵書が一冊一冊増えていくことは驚きと感動の連続であった。しかしその過程は楽しいことばかりではなかった。あたかも「人生」それ自体と同じであるかのごとく。
古書店とのトラブルはもちろん、ネット上での古書コレクター同士のトラブル、さらには古書への金銭のつぎ込みすぎで食費までなくなったこと、そしてなにより古書に入れ込むあまり、自分はなにかあまりに大きなものを犠牲にしてきたという後悔、そのような諸々の事項が浮かんでは消えてゆく。
自分の前半生はまさしく古書と共にあった。25年目にしてようやく戦後詩・戦後短歌の網羅的なコレクションの原型らしきものが見えてきたことを、わたしは複雑な心境で感じ取っている。
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さてわたしがここまでのコレクションを見ていて思いだすのは、今は亡きある老コレクターのことだ。
彼とはかつて東京都文京区茗荷谷(みょうがたに)駅から徒歩10分の場所に存在していた詩歌専門古書店「土屋書店」の番台に座って(古本が溢れすぎていて番台にしか座られないのだ。)、古書店主である土屋さんと彼とわたしの三人でお茶を飲むことが習慣であった。
土曜日の夕方、わたしと土屋さんが話していると、PM6時過ぎにいつもバイクの音が聞こえてくる。そして彼はいつもはにかんだような表情で古書店のドアをガラリと開けるのであった。
古書蒐集家という人種にはおだやかな人物が多い。もちろん彼はその典型であった。彼が声を荒げたり乱暴な言葉を使うのを聞いたことは一度もない。
それから土屋書店が閉店するまでの約一時間の楽しい古書談義、この古書談義の中から若き日のわたしは古書コレクションのイロハを学んでいった。
そしてさらに彼からわたしは実に沢山のめずらしい詩集を、驚くような安価で売ってもらった。H氏賞受賞詩集を中心に、佐々木安美『さるやんまだ』(遠人社)、一色真理『戦果の無い戦争と水仙色のトーチカ』』(新世紀工房)、栗原貞子『黒い卵』(中国文化研究所)などの本は現在でもわたしの宝物である。
折りしも時代がまだバブルの残り香が漂う時代、稀覯詩集の値段は決して安いものではなかった。わたしの一ヶ月の小遣いではとても初期H氏賞本を中心とした戦後詩集を網羅的に蒐めてゆくなどということはできなかったであろう。
彼がいなかったら、わたしの戦後詩のコレクションの行方は大きく違ったものになっていたであろうことは間違いない。
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その後、彼は古書店にこなくなった。このことについて土屋書店に電話をかけると、土屋さんはなんともやるせない声で言った。
「あのね・・・Aさん、癌にかかったんだって。・・・」
まだ若い青年であったわたしには「癌」という言葉の重さに実感が湧かなかった。しかしじぶんにとっての大切な存在の生命の危機をなんとなく感じ取っていたのは確かである。
ある年の元旦、雪の降る寒い日であった。
わたしはその老コレクターに電話した。
「あ、、、あぁ・・・」しわがれた、やせ細った、ガラガラ声が聴こえた。
直感的ににわたしは彼はもう長くないことを悟った。
それから一週間後、彼は死んだ。古書店主の話によると、蔵書を売りしぶったため、入院費を捻出できず彼は自宅で孤独に死んでいったそうである。(彼は独身であった。)
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それから約10年の2002年3月、ホームページ「黒猫館」開館において、わたしがネット上に自分の戦後詩集コレクションを展示する決意をしたのも彼に対する追悼の念からだ。
恩義を受けたら次の誰かに恩義を返さねばならない。わたしの作成した書誌を見て新しい世代の詩集コレクターが少しでも間違いなくコレクションを進めてくれることをわたしは切に願う。
そしてまた新しい時代の新しい物語は始まってゆくのだろう。
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やがてはわたしも肉体は土に還り、魂も風の中に消えてゆくのだろう。(当然のことだ。)
そうしたらわたしの蔵書は再びあの東京の埃まみれの古書店に帰ってゆくのだろう。わたしの若き日々の記憶と共に。
古書店こそ、まさしくわたしのとっての人生の学校であった!
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そしてさらに10年が経った。
東日本大震災の余波醒めらやぬ2011年春4月、ほぼ完成した戦後詩のコレクションと舞い散る桜が影絵のように重なる。
それはコレクションというものの儚さとひいては人間の人生の線香花火のような短さを象徴するものなのだろう。
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さらにまた、その次の5年が経ち・・・
2015年8月。
戦後詩集最後の難関である、高橋睦郎『ミノ・あたしの雄牛』(砂漠詩人集団)を入手したわたしはある悟りにも似た感覚を感じていた。
長い、あまりにも長い年月が経った。
あの老コレクターはもちろん土屋さんももうこの世にはいない。
さらば、熱に浮かれし日々よ。
わたしの青春も戦後詩集・戦後歌集のコレクションの完成と共に終わるのだ。
コレクションと人生、それはどちらもあまりに儚(はかな)い。
(了)
(黒猫館&黒猫館館長)