1 サロメの夜。
「街が燃えている。」
そのように思った。
時は1980年代末期。
場所は新宿歌舞伎町映画館ミラノ座。
その日の演(だ)し物は頽廃的な作風で高名なイギリスの映画監督&ケン・ラッセルの『サロメ』。
拍手が一斉に鳴り渡る。今、上映が終了したのだ。
立ち上がる男たち、女たち。男たちは一様にブランドもののスーツ。女たちもまた一様に「ボディコン」と呼ばれる異様に細身の衣服に身をまとっている。
わたしもまた席を立ち、映画館を後にした。
そして映画館の前には無数のスポーツカーが止まっている。
コマ劇場の前で行われている珍妙なパフォーマンス。
さらにはケンカ、こぜりあいが起こっているのが見えた。
ひとりの男がヤクザに追われて逃亡しているのが見える。
わたしは初めて知る新宿歌舞伎町の雰囲気に熱く酩酊していた。
時はバブル狂乱の頂点。新宿ばかりか日本全体が紅く白熱していた時代である。
この同時期にリドリー・スコットが日本を舞台に『ブラックレイン』という映画を撮っている。
あの映画の中で登場した東洋の魔都がいままさに新宿歌舞伎町に現出していた。
わたしと新宿との出会いはこの夜から始まったのだ。
今でもわたしは痛切に思いだすことがある。文字通りの東洋の魔都であった新宿歌舞伎町の忘れられぬ一夜、この「サロメの夜」を。
2 石井隆の妖しい世界。
わたしが敬愛する劇画作家である石井隆は劇画を描き始めるときにはかならずこのようなシチュエーションからストーリーを作ってゆくそうである。
「男は逃亡者、女は娼婦、舞台は雨の降る歓楽街」
「雨の降る歓楽街」については詳細な説明がなされていないが、石井隆監督の映画『ヌードの夜』などを観る限りではこれは明らかに新宿歌舞伎町である。
あの当時、1980年代。
わたしの周りの人間たちはみな何から逃げるように生活していた気がする。
中には実際にヤクザに追われて逃げながら生活しているヤツもいた。
バブル経済のおかげで金銭的には豊かであったが、精神的にはどこか満たされておらず、イライラと殺気立っていた時代であったのだ。
わたしもまた精神的に安定せず、見えないなにかから逃亡するように映画と演劇の世界に溺れていた。そんなわたしのいきつけの場所が「新宿歌舞伎町」であったのだ。
歌舞伎町では映画館は無数に乱立していたし、当時は劇場も豊富にあった。
わたしはまるで逃げ込むように夜毎(よまい)自宅アパートを抜け出しては歌舞伎町の映画館や劇場に逃げるように転がり込む。
わたしが日本で最も尊敬するわけではないが、愛好する歌人である林あまりも次のように歌っている。
「どしゃぶりに芝居の切符買いに行く せめて一夜の居場所予約に」
その当時、わたしの居場所は映画館と劇場だけだった気がする。
映画がハネた後、歌舞伎町の街をふらふらと泥酔者のように歩くとチンピラや娼婦、密売者やふーてんなどの怪しげなヤツラがまるで妖しいきらめきに充ちた蛾のように乱舞しているのであった。
そんなヤツラの殺意に充ちた眼から逃れながら、わたしはまた寝床のあるアパートへ帰ってゆく。わたしにとっての1980年代といえばこのような生活の繰り返しであった。
3 渋谷や池袋には無いもの。
さて東京といえば「渋谷・新宿・池袋」が三大歓楽街として知られている。
わたしはなぜ渋谷や池袋ではなく「新宿」を選んだのであろうか。
渋谷といえば今も昔も「若者の街」である。
当然のようにチーマーや不良少年の類が跋扈しているものの、わたしに言わせればどうも「妖しさの底が浅い」そのように感じられる。
事実、パルコビルがいくつも乱立する渋谷の街にはSF的なテイストはあっても上記の石井隆の世界のような妖しさが感じられなかった。
では池袋はどうか。
わたしは何度も池袋で危険な目に合ったことがある。
つまり池袋にあるのは現実の生活の逼迫(ひっぱく)であり、ナイフを持ったチンピラが実際に襲いかかってくる現実の恐怖である。そこにあるのは妖しさというより無機質な危険である。
もちろん新宿にもこのような危険は存在しているだろう。
しかしその危険を呑み込んでしまうようなフトコロの深さが新宿にはあった。
良いものも悪いものもすべてひっくるめて教えてくれる人生の教師のような街、それがわたしにとっての新宿なのである。
4 そして現在。
2011年初夏。
時間は午後9時。
話題のホラー映画『ムカデ人間』がハネたわたしはひさしぶりに新宿歌舞伎町の街を徘徊した。
もう歌舞伎町にはバブルの時代のような妖しさは存在しない。
1990年代に導入された新風俗営業法のおかげで怪しげなポン引きやチンピラの類はほぼ歌舞伎町から姿を消した。
近代的に新しく生まれ変わった新宿歌舞伎町を見てわたしは感慨に耽る。
もうわたしが愛した石井隆の妖しい世界は過去のものになりつつあるのだろう。
しかしふと、街ゆく男たちがバブルの時代に見た逃亡者のように見えたり、女たちが娼婦のように見えるときがある。
そして明るくさざめきわたる若者たちが、当時18歳のやせっぽっちの少年だったわたし自身に重なり合う。
さよう、新宿の街のスピリッツはまだ変わってはいない。
今後もわたしは新宿の街を徘徊し続けるだろう。
新宿にくればみな男は逃亡者、女は娼婦へと変身する。
そして、そこから始まってゆく新たなRoman(物語)。
それを見届けるためにわたしは今もそしてこれからも新宿の街を愛し続けることだろう。
さらばサロメの夜よ!
そしてまた新たな時代の新しいきらめきをわたしに見せつけてくれ!!
新宿よ。
ありがとう&そしてこれからもよろしく。
(了&合掌)