わたしとタンクトップのただならぬ関係
(講演日=2012年7月20日)
1 真夏の若者たち。
夏である。
今年も夏がやってきた。
打ち寄せる波のように若者たちの興奮が高まる季節である。真っ黒に日焼けした若い男がタンクトップ一枚で街を闊歩している。
わたしはそんな風景を観るのが大好きだ。
そこには青春と真夏との見事なシンクロがある。
さよう、夏は若者の季節であり、そして肉体の季節なのである。
わたしはゲイではないが「タンクトップを着た若者」を見ると、思わず振り向いて眼で追ってしまう。
タンクトップの色は黒、あるいは純白が良い。
カラフルな原色よりモノトーンの色彩。そこにはなにかストイックなものが感じられるからだ。
ズボンはもちろんぴっちりと足に張り付いたストレートのジーンズ。
男の逆三角形の肉体が、タンクトップから突き出た双肩とキュッ!と引き締まった腰を結ぶ三角形によってエンファシス(強調)される。
真夏の若い男にはタンクトップがよく似合う。
それらを街角で鑑賞するのがわたしの夏の密かな愉しみなのである。そしてそんな若者たちを観るたびにわたしは思い出す。かつてわたし自身が若者であった頃、みずからタンクトップを着ることに凝ったあるあまやかな季節のことを。
2 タンクトップを着たライダー。
小学生の頃、わたしは学区外通学児童であった。
学区外通学であるから、もちろん長い長い通学路を通って自宅へと帰ってゆかねばならぬ。
そんなある日の夕方、あれは小雨ふる晩夏のある日のことであっただろうか。・・・
わたしは秋田市広小路という大通りである男を見た。その時期は広小路が今とは比べ物にならぬほど活気があった時期である。
バイクに乗った男が赤信号で停止している。
その男は歳のころ20代後半ぐらいであった。身体にピッタリとしたジーンズと漆黒のタンクトップを纏(まと)ってまるで飢えた黒豹のように身体を前傾させてバイクにまたがっている。
小学生のわたしはガーンと頭を叩かれたような衝撃を感じた。
この感覚は到底わたしには上手く表現できないので、三島由紀夫の名文を借りてこの時のわたしの衝撃を説明してみよう。
「わたしは彼の職業に対して、何か鋭い悲哀、身を撚(よ)る悲哀への憧れを感じたのである。極めて感覚的な意味での「悲劇的なもの」を、わたし
は彼の職業から感じた。彼の職業から、ある「身を挺(てい)している」と謂った感じ、ある投げやりな感じ、ある危険に対する親近の感じ、そういうものが溢
れ出て五歳のわたしを虜にした。」三島由紀夫『仮面の告白』(新潮文庫)より引用。
少年・三島由紀夫は汚穢屋(便所の汲み取り夫のこと)からこのような感覚を受けたのだという。わたしが秋田市広小路で見たライダーは職業ではないが、確実に三島の感じた感覚に極めて近いものをわたしの脳髄に叩き込んだ。
タンクトップを着た若者。・・・この恐るべきイメージから解放されるのにわたしは一体何年かかったのであろうか。タンクトップを着た若者というイメージはその後のわたしに重大な影響を与えることになる。
3 タンクトップで街を歩いた若者時代。
やがてわたしは小学生から中学・高校を経て東京の大学へ進学した。
まるで受験勉強という堤防から水が溢れ出るように、大学生のわたしは初めて体験する大都市での完全なる自由に身を震わせていた。
そんなとき、わたしの脳髄に甦ってくる者があった。
それはあの小学生時代にわたしが秋田市広小路で見たライダーの幻影であったのだ。
わたしは痛烈に思った。
「わたしが彼になりたい。」・・・すなわちみずからタンクトップを着てみたいと。
わたしは渋谷のカジュアルショップで肩紐がなるべく細くて小さめのタンクトップを買い求めるとデパートの便所でタンクトップに着替える。
そしてわたしは渋谷のセンター街をタンクトップ一枚で闊歩するのであった。
みんながわたしを見ている。・・・羨望、あるいは憎しみの眼で。
そう感じるとわたしは強烈な性的興奮を感じざるをえないのであった。
時にはこっそり入手した女もののキャミソールを着て街を歩いたこともあった。わたしの女装趣味はその時期に萌芽したものであったのだろうか。
タンクトップ、タンクトップ・・・とタンクトップに夢中になっているうちに刻々とわたしは歳を重ねてゆく。気がつけばわたしは30の坂を登っていた。
まるで夢から覚めたようにわたしのタンクトップへの陶酔は覚めていった。まるで「青春」という人生の真夏がもう過ぎ去っていったかのように。
4 さらばタンクトップ。
30歳を過ぎたころからわたしの中へ女装への憧れが目覚め始めた。
タンクトップで雄(オス)のセクシーさを演出するにはもうわたしは歳をとりすぎていた。そのような諦念がメイクで年齢をごまかすことができる女装への乗り換えをわたしに強いたのであるだろうと思う。
しかし二十代で味わったあの強烈なタンクトップへの羨望、それは現在でも衰えていない。
数限りないタンクトップのコレクションを箪笥から取り出して一人贅(ぜい)にいる、そんな夜もある。・・・
しかしもうタンクトップを着て街を歩くことはできないだろう。
そう思うとわたしは奇妙な悲しみに襲われる。それはとっくに夏が過ぎ去った晩秋のある夕べに、あの真夏のギラギラした太陽を幻のように想起するかのように。
さらばタンクトップ。まことタンクトップこそわたしの青春そのものであった!
もうわたしはタンクトップを着ることはないだろう。しかしタンクトップへの手の届かない憧憬はこれからも続いてゆく。あるいはわたしが死ぬまで。・・・
【完】 合掌。
(黒猫館&黒猫館館長)