ハードディスククラッシュ顛末記
(講演日=2012年5月16日)
第一章 戦慄の夜
2012年4月の平日のある夜、わたしは行き着けのSNSであるmixiにログインした。
しかしどうも「日記」を書くようなモチベーションが湧いてこない。どうも最近のわたしはスランプ気味であるらしい。
しかたがない。わたしは「日記」を書くことをあきらめた。
わたしは他の人の「日記」を読んで満足することにした。
わたしはあるマイミク氏のページにジャンプした。
しかし日記の更新はない。ここでわたしはちょっとした悪戯心を起こした。マイミク氏のさらにマイミク氏のページへジャンプしてネットサーフィンをしようと試みたのだ。
この悪戯心が後でとんでもない落ち度に至るとはその時は考えてもいなかった。
わたしはあるマイミク氏のさらにマイミク氏の中から面白そうなトップ画像のマイミク氏を選んで、一気にジャンプした。
するとジャンプして画面が切り替わったその瞬間。・・・
「ピタリ」。と画面が凍りついた。どのキーを押してもまったく動かない。
「あーあ。固まっちまったよ。」とわたしはつぶやくと、いとも気軽にパソコンを強制終了した。
その時、「ピー!」という怪鳥が鳴くような音が室内に不気味に響きわたった。
強制終了したあと、もう一度電源を入れる。
画面が不気味にチカチカと点燈する。しかし起動時間が異様に長い。なにか嫌な予感がするな。・・・と思った瞬間に、
「 ご迷惑をおかけしております。Windowsが正しく開始できませんでした。
最近のハードウェアまたはソフトウェアの更新が原因の可能性があります。
コンピュータが応答しない場合、予期せず再開始した場合、ファイルとフォルダを保護のため自動的にシャットダウンした場合、前回正常起動時の構成を選択して、正しく機能した最新の設定に戻してください。
前回の試みが電源障害、あるいは電源ボタンやリセットボタンを押して中断された場合、または原因不明の場合は、通常起動を選択してください。
セーフモード
セーフモードとネットワーク
セーフモードとコマンドプロンプト
前回正常起動時の構成 (正しく動作した最新の設定)
Windows を通常起動する
上矢印キーと下矢印キーを使って項目を選択し、Enter キーを押してください。 」
という文字が真っ黒い画面に表示された。異様に大きな文字である。
わたしは蒼ざめた。やばいな。これは・・・と思いつつ、指示されていることをそのとおり実施した。しかしなにも起こらない。「セーフモード」で起動してもなにも起こらないのだ。
わたしは何度も何度も再起動を繰り返した。
しかし出るものは決まってこの文字群ばかりである。
わたしはパニクリつつある脳髄を冷却させるように、冷静さを保ちながらその日はネットを止めて本を読むことにした。明日、パソコンショップに連絡してみよう、そうすれば必ず治る、そういう確信を意味もなく抱きながら。
しかしこれが地獄の一丁目であることをそのときのわたしは全くしる余地もなかった。
第二章 鉛色の朝
朝の6時ごろ、パッ!と目が覚めた。
なにか夢を見ていた気がする。それもひどく不快な夢だ。しかしその夢の内容が思い出せないのであった。
ざー!・・・とカーテンを開ける。曇り。どんよりと濁った鉛色の空がわたしの胸中を露骨に反映していた。
わたしはいつもの習慣に従って朝一番にパソコンの電源を入れる。
その日も寝ぼけた顔でパソコンの電源をグイッ!と押した。
「ぶいーん・・・」
パソコンが起動したかと思うといきなり黒い画面が出た。
「 ご迷惑をおかけしております。Windowsが正しく開始できませんでした。
最近のハードウェアまたはソフトウェアの更新が原因の可能性があります。
・・・・・」
わたしはハッ!とした。昨日のパソコン不調は夢ではない。まぎれもない「現実」だったのだ。しかもその「現実」は一晩越してもまだ治っていないのだ。
わたしはまだ悪夢が続いているようかのように、突然の恐怖感に襲われた。
もしかしたらこのまま永遠にパソコンが治らないのではないか??・・・
わたしはとにかく気を静めようと思い、一階に降りて紅茶を煎れた。
熱い紅茶を飲みながら、必死に冷静さを取り戻そうと試みた。さてこれからどうするべきか。
インターネットの不具合ならばプロバイダーの故障受付に電話すれば良い。しかしこれはどうみてもパソコンそのものの不調である。プロバイダーにはまったく関係がないだろう。
というわけで、わたしは秋田市広面にある「パソコン専門店 COM」に電話してみることにした。
AM10:00、わたしは速攻でCOMに電話をかけた。
「あの〜もしもし、おたくさんでパソコンを買った者ですが、パソコンの調子がおかしいんですよ。・・・」女子受付員にそのように訴えると「ちょっとお待ちください。サポートのほうに回します。」という言葉と共に「チンチロリン・・・♪」という無機質な音楽が鳴り始めた。
しばらく待つ。しかし誰もでない。
さらにしばらく待つ。さらに誰もでない。
わたしはだんだんイライラしてきた。このCOMめ!と思った瞬間、男の声がした。
男「もしもし〜?」
わたし「あ、サポートの方ですか?」
男「はい〜!こちらサポートです。」
ようやく祈りが天に届いた気分だ。わたしは男を救世主であるかのように期待して、パソコンの症状を訴えた。
「あ〜・・・」男は唸った。
「それまずいですよ。もしかしたらハードディスクがいかれているのかもしれないですよ。」
「ハードディスク」という言葉にわたしはビクッ!と身を震わした。もしハードディスクが破損したら・・・えらいことになる!!
男「とにかくパソコン見たいので、持ってきてくれますか?わたしは斎藤です。」
わたし「斎藤さんですか。わかりました!!速攻で持っていきます。」
わたしはもう正気ではなかった。一刻も早くパソコン不調の原因を突き止めたい。なにか不条理な切迫感に追い立てられるように電話を切ると、わたしは一階へ駆け下りた!
言いにくい。しかし言うしかない。わたしは自分の親に頼み込んだ。
わたし「あの〜、、、パソコンの調子おがしいから車、運転していってけねーか?」
わたしは二輪の免許しか持っていないので、こういう場合は親に頼むしかないのだ。はっきり言ってあまり親の手を煩わせたくはない。しかしこういう場合は仕方がない。
父がひょいと振り向いた。露骨に嫌そうな顔をしている。
わたし「頼むで〜父よ。」
こういう時は親子喧嘩が起きやすい。わたしは慎重に下手に出た。「頼む!」
父が重い腰をあげた。いかにも嫌そうである。
父「行くで。」
わたし「センキュー!!」
というわけで、わたしは父の車にパソコンを搭載した。父が面倒臭そうに家から出てくる。
わたしは念には念を入れた。「父よ!助かる!!」こういう言葉が親子喧嘩を防止するのだ。
わたしと父は車に乗り込むと秋田市広面にある「パソコン専門店 COM」に向かって疾走を始めるのであった。
第三章 死亡通達
父とわたしの乗った自家用車が家から出た。
父もわたしも無言である。なにか非常に気まずい雰囲気が車内に漂っていた。
県庁方面から広面に通じるトンネルに入る。
トンネルの薄ぼんやりとした暗がりがわたしの胸のもやもやを見事に表現していた。
もしハードディスクがクラッシュしていたらどうしよう?
クラッシュしていたとすると内部のデータはどうなる?
もしデータを復旧できなかったら、わたしの10年以上かかって創作したホームページのデータが全部消し飛んでしまうではないか?すなわち10年以上の努力がすべて水の泡になるのだ。
不吉な考えが次々と浮かんでは消えていった。
やがて自家用車がトンネルから出る。光がパッと射した。
トンネルから広面にでたらCOMはすぐそこに建っている。
COMの駐車場に自家用車を止めながら父が重苦しく口を開いた。
父「時間はどれぐれーかかるんだ?」
わたし「すたこと、わかんねーべ。」
わたしのこの一言に気を悪くしたのか、父の怒りが爆発した。
「だいたいおめえがいつまで経っても車の免許取らないから、俺が駆り出されるんじゃねーか!」
いきなりの怒鳴り声にわたしは身震いした。しかしここで父とケンカしているヒマはない。今はまず第一にパソコンの復旧が先決問題である。
わたしは「わがったって!!」と怒鳴るとパソコンを持って車から出た。
父がさらに追い討ちをかける「なんだと!!おめえッ!」
わたしは父から逃げるようにパソコンをかかえてCOM内部に入った。
よたよたとでかいパソコンをかかえてサポートセンターまで歩いていく。しかしサポートセンターには誰もいないのであった。
1分、2分、3分、・・・誰も現れない。
わたしはまたもイライラし始めた時、ヒョコヒョコ向かうから歩いてくる小太りの男がいた。
わたし「あのー、斎藤さんですか?・・・」
斎藤氏「おおっ!わたしです、わたし。」
突如の斎藤氏の出現に私の気が急(せ)いてきた。(早くパソコン治してくれっ!!斎藤!!おまえだけが頼りなんだ!!頼む!)
斎藤氏は「よっこらしょ」と呟くとわたしのパソコンを持ち上げるとサポートセンター奥にパソコンを置くと、無数の回線をパソコンにつなぎはじめる。
「ぶいーん」斎藤氏がパソコンのスイッチを入れる。
カチャカチャ・・・キーボードを叩く斎藤氏の指の音。やがて斎藤氏が重々しく口を開いた。
「ああ〜・・・お客さん、やられてますよ。ハードディスク。これは困ったことになっただすな〜。。。」
その瞬間にわたしの目の前は真っ暗になった。
第四章 賭け
わたしの目の前が真っ暗になった。
ハードディスク破損・・・それはすなわちデータの完全消失を意味する。
わたしは今まで「自分だけは大丈夫」と思って、データのバックアップを取ることを怠っていた。
しかしその「自分だけは大丈夫」という根拠のない思い込みが完膚なきまでに打ち砕かれる日がついに襲来したのだ。
斎藤氏「なんとすます?ディスクを初期化すますか?」
わたしは狼狽した。「そ!それは困ります!!データをなんとかしてくださいッ!!」
まるで駄々をこねる子供のようにわたしは斎藤氏に泣きついた。
斎藤氏がウンザリした顔をする。
斎藤氏「それじゃデータ復旧作業やってみますか?ただしお金かかるだすよ。」
わたし「いったいいくらかかるんですか?」
斎藤氏「3万5千円はかかるだすな。それに無事復旧できるという保障は全くないだすよ。」
3万5千円・・・重い。高いというより「重い」。貯金を下ろして払わなくてはならない金額だ。
しかしそれでもやってみなくては始まらないだろう。わたしの10年間にわたる努力を水の泡にさせるわけには絶対にいかないのだ。
斎藤氏の話によると、特殊な機械を用いて新しいハードディスクに破損したハードディスクのデータを移動する作業をやってみるという。
しかしその作業が途中で頓挫したらどうなるのか・・・?
斎藤氏がケロリとした顔で言った。
斎藤氏「もしこの方法で復旧できなかったら、専門の復旧会社にこのパソコンを送るだすな。ただしその場合はお金と時間がかなりかかるだすよ。」
わたし「どのくらいですか?」
斎藤氏「復旧代金はまず30万円程度、期間は二ヶ月以上かかるだすな。」
わたしの目の前が壊れかけの蛍光灯のようにちかちかしてきた。
30万円以上だと!!吹っかけやがって!この野郎!
わたしは斎藤氏につかみかかりたい衝動に襲われて身構えした。しかし斎藤氏はキョトンとした顔でこちらを見ている。
斎藤氏の純粋無垢な顔を見てわたしは正気に戻った。
わたし「わ、わ・・・わかりました。3万5千円払いますから、復旧作業やってみてください。」
斎藤氏はその黒めがちな大きな瞳をキラキラと輝かせながら言った。「それでは明日の午後になったら連絡します。。パソコン一泊二日でお預かりしますな。」
わたしは完全に打ちのめされた。
まず3万5千円の損失。しかも、それでもデータが復旧できるという保障はないのだ。
わたしはがっくりと肩を落として父の車に戻った。すると・・・。
父が顔をしかめていた。「遅いよ〜なにやってたんだ!!」
わたし「遅くてわるがったな!」普段はスルーする父の攻撃にわたしはまんまと釣られてしまった。それだけ精神が混乱していたのだ。
父「なんだと!!親に向かって!もう一度言ってみろ!」
わたし「遅くてわるがったな!!」
父「この野郎!!」
車の中でわたしと父の不毛な抗争がはてしなく続いてゆく。・・・
やがて父が車のエンジンを無造作に入れた。父の車がいつ事故を起こしても不思議ではないぐらいによろよろと力なく県庁方面に出るトンネルに向かって走り始める。
第五章 焦燥
「すぷるるるろおおおお・・・・」
悲しい音を立てて、父の自家用車が自宅の前に止まった。
わたしは父から逃げるように車から飛び出した。父と顔を合わせていると果てしなくケンカは続いてゆくだろう。
わたしは二段飛びで二階にある自室に飛び込んでドアを閉めた。(バタン!)
わたしは椅子に腰掛けると「ふ〜・・・」と一息ついった。
「それにしてもなんてことなんだ・・・・」わたしは顔半分を醜く歪めてひとりごちた。今、10年以上にわたるわたしの努力の成果が非常な危機に瀕している。
わたしは自分のホームページを「財産」だと思っている。
もちろん金銭的な意味での財産ではなく知的財産としてである。その財産が危機に瀕している。
自分の財産が危ない時に冷静でいられる人間などいないのだ。
「ぐわー!」と意味もなく奇声を発するとわたしは電話に飛びついた。無論斎藤氏に新しいハードディスクへのデータ移動の作業状況を聞くためである。
「ちょっと待て・・・」わたしは気を取り直した。
斎藤氏にパソコンを渡してからまだ一時間もたっていない。これはいくらなんでも嫌がられるだろう。それでは2時間後まで待ってから連絡するか。
その時・・・。
「うわー!!」と一階から父のうめき声がした。「な!なんだ!?」わたしはびっくりして一階に飛び降りた。居間のドアを開けるとドアのすぐ前に座っている父がギラリ!と鋭い目でわたしを睨(にら)んだ。
またケンカが始まるな・・・と嫌な予感がした瞬間、意外な人物がわたしを怒鳴った。母である。
母「ちょっと、あんた(わたしのこと)!お父さんの機嫌が悪くてこんなもんだ!」
母は明らかに怒っている。ただでさえ皺だらけの顔が今日はさらに皺が増しているように思えた。
なんと父は虫の居所を母にぶつけたのである。すると当然のごとく母の機嫌が悪くなる。すると母の虫の居所が今度はわたしに向かってくるのだ。
母「あんたがじぶんのパソコンの管理ちゃんとしないからこんなもんだ!」
わたし「わがった!!わがったからもう言うなッ!!」
わたしはドアをバタンと閉めると二階に再び駆け上った。
「糞ッ!!」とわたしは椅子に倒れこんだ。最悪だ最悪。こんなことになるとは。。。「糞ッ!!」わたしは何度も何度も糞糞と呟くとテレビの前にごろりと寝転んだ。
「ふざけんな!この野郎!!」と誰に向かってでもなく悪態をつくと時計が見えた。ちょうど斎藤氏にパソコンを渡してから2時間たっている。
わたし「電話だ!!」わたしは電話に飛びついた。
マッハの速度でダイヤルすると受付のお姉ちゃんが出た。
わたし「あの〜サポートセンター斎藤さんお願いしたいんですけど・・・」
お姉ちゃん「すみません、斎藤は現在外出中です。」
わたしはガチャリと電話を切った。力がみるみる抜けてゆく。
わたしは再びテレビの前に倒れこむと布団をかぶった。わたしは両目をギュ!と閉じた。もうなにも見たくない。暗闇こそわが故郷よ。そんなことを思っていると睡魔が来た。
深い眠りの世界へとわたしは落ちてゆく。・・・
第六章 奇形児のダンス
わたしはとある深夜の夜、パソコンを立ち上げてインターネットをやっていた。
ミクシィ、2ちゃんねる、2ちゃんねるのアダルト板、アダルトサイト、アングラサイト、わたしは憑かれたようにどんどんヤバい地帯に進んでいく。
中国の女死刑囚の画像、「凌遅の刑」の画像、「象皮病」にかかった患者の画像、さらに奇形児のダンス、めくるめく「見てはいけない」ものを次々と見ながら、わたしは残忍な陶酔に酔いしれていった。
ふとその時、奇形児のダンスの画像が揺れた。
まるでディスプレイがまるで波打っているようだ。ゆらゆらと揺れるディスプレイ・・・
わたしはそお・・・とディスプレイに手を当てていた。
その時・・・
ぐいッ!!
奇形児がわたしの手を引っ張ったのだ!
馬鹿な!奇形児はパソコンの画像である筈。それでもわたしは奇形児にどんどん手を引っ張られてゆく。手がズブリとディスプレイの中に沈んでゆく。ディスプレイの内部はぬめぬめした質感の粘液で形成されているようだ。
グイッ!グイッ!
奇形児の力はどんどん強くなってゆく。
(こ・・こんなことがッ!!) わたしは声にならない悲鳴をあげた。
グイッ!!!
まるでトドメを刺すように強烈に引っ張られた瞬間、わたしの身体はボーンと弾みをつけてパソコン内部に引っ張られて消えた。
※ ※
・・・意識はある。
意識があるなら心配はない。さっきのは夢だったんだ。
夢だ。いや夢であってくれ。・・・しかしなんだ、この回転するような感触は。
なにかぐるぐる回っている気がする。
異様な感触にわたしはそお、、、と目を開けた。すると、・・・
そこに人間のわたしはいない!
わたしは機械、いやパソコンの部品になってしまったのだ!
奇形児が「けけけ・・・!」と笑う!!
奇形児「気分はどうだ?・・・」
わたし「た!助けてくれ!!」
奇形児「ダメだ。というより不可能だ。」
わたし「そんな!そんなことがッ!!」
奇形児「ひひ・・・おまえはハードディスクになったんだよ。パソコンの中でぐるぐる回るハードディスクにな!!」
わたし「そんなことはありえない!」
奇形児「ほざけ!おまえはパソコンが壊れるまで永遠に回転し続けるのだ!!・・・どうだ?うれしいだろう・・・?けけ・・・けーーーーけっけっけ!!!」
わたし「こ・・・こんな不条理なことが、あって!あってたまるかーーーーーーーー!!!!」
※ ※
ハッ!!・・・とわたしはまた目覚めた。
夢で!夢であってくれ!!今度こそ!!
しかし周りは真っ暗である。無間に広がる暗黒の世界でわたしは身体をゆすってみた。
動く。わたしは自分の顔に触ってみた。人間の顔をしている。
夢から覚めたのか・・・わたしは心底ほッとした。
それにしてもなんという嫌な夢だ。冷や汗で背中がべちょべちょだ。
ところでこの真っ暗な様子はなんだ!?今は夜なのか・・・?
わたしは立ち上がって電気をつけた。
時計を見る。時間はなんとPM11時!!
わたしはなんとPM4時ごろから7時間眠っていたのだ。しばらく呆然とした後でわたしは壊れたパソコンのことを思い出した。
ハードディスククラッシュも恐怖だが、パソコンの中の奇形児も恐怖だぜ。・・・
そんなことを考えながらわたしは自室から出て一階に降りた。
第七章 涙
我が家の階段は急である。
わたしは暗闇の中を転げ落ちないように注意深く階段を下りた。
真っ暗な居間に入る。
時間はもう12時、父も母も寝ている時間である。
なにか食べ物はないのか・・・?と探すとテーブルの上に食事一式が置いてある。
鶏肉、キャベツ、ホウレン草、ワカメのあえ物と質素であるが、栄養のバランスが取れた食事である。
先ほど母とケンカしてしまったわたしとしては、今夜は夕食を抜かれても仕様がないな。。。
と思っていた矢先の出来事である。
わたしは驚嘆した。
ふと見ると食事の横に紙が置かれている。紙には達筆な文字で(うちの母は習字を習っている)このように書かれていた。
「夕食をちゃんと食べてから寝るように。ご飯と味噌汁温めて。お風呂にも入りなさい。今夜は早く寝たほうが良いですよ。 母より。」
胸が震えた。さらに双眼から熱い涙が零れ落ちる。
母よ・・・わたしは唸った。
どんなことがあっても母だけはわたしの味方なのだ。わたしは母の愛のありがたさに心が震えた。
椅子に座る。鶏肉をかじる。しこしことした歯ざわりが心地よい。
味噌汁を一口飲む。我が家では「秋田県産・福寿の味噌」を味噌汁に使っている。そのダシの利いた味噌汁の味にわたしは一瞬パソコンのことを忘れた。
ワカメのあえ物をぐるぐるかき回して一口に飲み込むと食事は終わった。
空腹時とはケタ違いに力がみなぎってくるようだ。わたしは立ち上がって、皿を洗った。
それから早めに風呂に入った。
「お風呂はイノチの洗濯よ」と葛城ミサトが言っていたな。。。そんなことをぼんやり考えながら湯船につかり、ボディシャンプーで身体を洗う。
浴室から出るころには、先ほど悪夢を見た頃の暗鬱な気持ちがかなり薄まっていた。
「いける・・・」わたしは思った。根拠はない。しかし心の底から熱くこみ上げてくるものがあった。
「この調子なら明日は大丈夫だ。」
わたしはパソコンのない殺風景な自室に戻るとこのように心に誓った。
時間はPM2時。
わたしはパジャマに着替えるとベットに潜り込んだ。すると信じられないくらい意識が遠のいていった。ストン・・・わたしは深い睡眠に落ちた。
(黒猫館&黒猫館館長)