演劇版「家畜人ヤプー」
(講演日・2010年9月22日)
【この日記には月蝕歌劇団公演「沼正三・家畜人ヤプー」のネタバレが含まれます!!これから観ようと思っている人は読まないでください。】
空気がよどんでいる。
まるで熱帯魚の水槽の中にいるようだ。
わたしは「ひっひっひ・・・」と左手で顔を隠すと猥(みだ)らに顔を歪ませた。これこそ「家畜人ヤプー」の舞台が上演されるにふさわしい夜だな。見せてくれよ。背徳を、狂気を、地獄を、悪魔の思想を。・・・
場所は東京・中央線沿線・阿佐ヶ谷駅前。
時間は2010年、9月初め、PM7時。
わたしは「ザムザ阿佐ヶ谷」と呼ばれる小劇場に向かってふらふらと足を動かしていた。月蝕歌劇団公演「沼正三・家畜人ヤプー」の演劇公演がPM7時30分から開始される。
急がなくては・・・。
わたしが月蝕歌劇団の芝居を観るのはこれが初めてではない。1990年春には東京・浅草の野外劇場で「聖ミカエラ学園漂流記」を観劇している。
それから20年、不況の波を受けてぞくぞく解散してゆく劇団が多い中で月蝕歌劇団は良く頑張っていると言わざるを得ない。
消すな。アングラの火を。
これからも世間の良識に水を吹っかけるようなスキャンダラスな芝居をぞくぞく打ち続けてくれ。21世紀に現存する数少ない「アングラ劇団」よ。・・・
やがてザムザ阿佐ヶ谷が見えてきた。案の上、地下劇場である。もじどおり「アンダーグラウンド」なわけだ。
わたしは予約していたチケットをもぎりに渡すとザムザ阿佐ヶ谷に入場した。
・・・暗い舞台。舞台には妖しげな装置が置かれている。
わたしは舞台の最前列に腰を下ろした。床には布が置かれている。これはなにに使うための布かって?決まっているさ!飛んできた血糊を避けるための布さ!!
「月蝕名物・おおみくじ」なるものを女性二人が販売している。一回二百円。くじに当たると舞台の生写真がもらえるそうである。
やがて舞台がすー・・・と暗くなった。芝居が始まったのだ。
今度は舞台がすー・・・と明るくなる。舞台には女性ふたりが立っている。主人公・麟一郎とクララだ。
ここからしばらく演劇は忠実に原作『家畜人ヤプー』になぞって進行してゆく。しかし思ったほどきわどい芝居に仕上がっていない。その原因は恐らく、麟一郎を女性が演じているためだろう。わたしは一抹の不満を覚えた。
もっと淫靡に!もっとグロテスクに!!そうでなければ「家畜人ヤプー」ではない!!
すー・・・と舞台が暗転する。
登場したのは少年時代の沼正三である。彼の妄想の中で谷崎潤一郎の中篇小説「少年」の劇中劇が繰り広げられる。
なるほど・・・わたしは感心した。
単に『家畜人ヤプー』を忠実に演劇化するだけではなく、その作品の成立過程まで遡及して描こうとしているのだな。ここら辺にわたしは劇作家・高取英の非凡さを見た。
やがて少年・沼正三は青年・沼正三に成長し太平洋戦争に巻き込まれる。そして敗戦。敗戦の屈辱の中で沼正三のマゾヒズムが一層明確に、そして強烈に形成されてゆく。
こういった沼正三の成長物語と共に「家畜人ヤプー」の物語が同時並行して進行してゆく。なかなか上手い作劇術ぢゃないか。・・・ふふ。
やがて唐突に舞台に澁澤龍彦が現れる。場所は天声出版編集室。雑誌『血と薔薇』の打ち合わせで澁澤は平岡正明と打ち合わせをしているらしい。その目的はもちろん「家畜人ヤプー」の雑誌『血と薔薇』への掲載だ。
さらにところどころに出現する三島由紀夫の影。
しかし三島は決して姿を現さない。
そして『家畜人ヤプー』のクライマックス、ようやく三島の登場、そして壮絶な切腹シーン!!血糊が舞台から観客席へ飛び散る!悲鳴をあげる女性客・・・
これだ。このノリだ。
わたしが演劇版「家畜人ヤプー」に求めていたものは・・・
やがて舞台は閉幕する。
舞台挨拶。劇場が明るくなる。
わたしは十分に満足していた。いかに世の中が移り変わろうと「アングラ」は不変なのだ。そしてかれらアングラ劇団員はほそぼそと未来永劫にわたって世間の良識に水を浴びせ続けるだろう。
21世紀に蘇った演劇版「家畜人ヤプー」、その演劇化は十分に成功していた。
(黒猫館&黒猫館館長)