心理試験完結編最終章
「死」

 

 

   

 

「黒猫館守護神」

光姫。
いよいよ「心理試験完結編」
最後の問題です。
覚悟はよろしいですね。

それでは「死」についての貴方の意見を述べなさい。

 

「光姫」

日本人の「死生観」とは?
という問いがしばしば発せられます。

しかし。

現代の日本人で自分の死後についての明確なビジョンを持っているひとはどのくらいいるのでしょうか?
わたしはほとんどいないのではないかと考えます。
それでは。
なぜ日本人は明確な「死生観」を持たないのでしょうか?

例を引きましょう。
これは現代の日本であまりにも有名な歌謡曲の一節です。 

 

「回る、回るよ、、世界は回る、、、
喜び、かなしみ、くりかえし、、、
今は別れた恋人たちも生まれ変わって
めぐりあうよ」

中島みゆき「時代」より引用。 

 

さて。
この曲の一節で「生まれ変わって」という部分があることに注意してください。

「生まれ変わり」。
これは特異なオカルト現象をさすのでしょうか?
それとも仏教の「輪廻転生」の現代的解釈であるのでしょうか?

実はこの曲に登場する「生まれ変わり」はそのどちらでもありません。

わたしの意見を述べましょう。

日本では「儒教」が日本人の「道徳」に影響を及ぼしているということ先ほど述べました。
しかし。
「儒教」が日本人に与えた非常に大きな要素がひとつだけあります。
それは「祖先崇拝」です。

さてそれでは厳密な意味での「儒教」の「祖先崇拝」はなにを目的として行われるのでしょうか?
それは端的に言って「血の継続」です。
「祖先を敬うこと」「子供を作ること」。
このふたつが「儒教」では非常に重視されます。
その目的は「家系」の「血統」を厳しく守るためです。
現代風に言えば「自己の遺伝子の未来への保存」です。

しかし日本人はそこまで厳しく「血の継続」について考えません。
「儒教」の「祖先崇拝」は「通俗化」され「薄められ」日本人に影響を及ぼしています。
なんとなく「子供に跡を継がせる」そのことで自分の存在が後世に記憶されてゆくことを期待しているのです。

そこに「仏教」の「輪廻転生」説が絡んできます。
日本では「仏教」は庶民レヴェルまで浸透しなかったと先ほどわたしは述べました。
しかし。
「輪廻転生」。
この説だけは日本人の間に浸透しています。
これは『地獄草紙』『餓鬼草紙』や源信の『往生要集』が通俗的な興味から広く読まれたことと関係しているとわたしは考えます。

まとめましょう。
日本人の「なんとなく」抱いている「死生観」とは「祖先崇拝」と「輪廻転生」が双方とも通俗化された形で、
複合されて出来上がっている極めて特異なものです。

端的に言えば「子供に自分の魂が転化して受け継がれていく」。
これが先ほどの歌謡曲『時代』に登場した「生まれ変わり」の正体です。

もちろん日本人の多くは自分の深層心理に巣食っているこの想念に気づいていません。
「なんとなく」そう思って「安心」しているのです。

しかし。
そのような「安心」を打ち破らないことには、
「人生を真剣に生ききる」ことはできません。
なぜなら。
「まだ後がある。」
そう考えればなんとなく怠惰な人生を送っても「安心」だからです。

しかし。
人間の一生は一度きりです。
もちろんこう考えたくないひとは考えてもらわなくても結構です。
『死生観』を他人に強制することなど誰にもできません。

しかしわたしは「たった一度の人生なのだから悔いひとつなく自分の人生に自分のすべてを注ぎ込む」道を選びます。
「なぜそうしたいのか?」
と他人に問われたならばわたしはこう答えることでしょう。

「わたしは自分の人生を愛していますから。」 

 

「黒猫館守護神」

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