心理試験完結編第八章
「老化」
「黒猫館守護神」
光姫。
「老化」についての貴方の意見を述べなさい。
「光姫」
その問いにわたしがここで答える前に一編の詩を紹介します。
青春
(サムエル・ウルマン)
「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。
バラの面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく
たくましい意志、豊かな想像力、炎える情熱をさす
青春とは、人生の深い泉の清新さをいう
青春とは、臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
時には、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある
年を重ねただけで、人は老いない
理想を失うとき初めて老いる
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ
苦悩・恐怖・失望により、気力は地に這い精神は芥(あくた)になる
60歳であろうと、16歳であろうと 人の胸には驚異に魅かれる心
おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある
君にも吾にも、見えざる駅逓が心にある
人から、神から 美・希望・喜び・勇気・力の霊感を受ける限り
君は若い
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ
悲観の氷に閉ざされるとき、20歳であろうと人は老いる
頭を高く上げ、希望の波をとらえる限り
80歳であろうと人は青春にして已(や)む」
「光姫」
わたしはこの「青春」という詩が高校生の時から好きでした。
一番初めは雑誌で紹介されていたのを読んだ時に非常に感銘を受けました。
現在はこの詩のカセット・テープを購入して時々聞いています。
さて。
一見平明に見えるこの詩が本当に言いたいこととはなんでしょうか?
わたしはこう考えます。
「肉体的老化は避けられない。
しかし精神的な老化は避けることはできる。」
わたしは現在21歳の大学生です。
しかしわたしの回りには「20歳になったこと」を悲しむ人が沢山いました。
さらに。
谷村真司の歌「22歳」にこういうフレーズがあります。
「22歳になれば、臆病になるわ、なぜかわかる?あなた?」
たった22歳で「臆病になる」と考える感覚。
このような考えはいったいどこからくるものなのでしょうか?
その答をわたしなりに解明しましょう。
日本人は「青春」という言葉を異常なまでに「臭い」だとか言って馬鹿にします。
しかし。
その裏にある心理は非常なまでの「若い頃への憧憬」なのです。
日本人が考える「若い頃」とはわたしが研究した限りでは16〜22歳という非常な短期間のようです。
この「22歳」という上限。
これが先ほどの谷村真司の歌にも現れています。
年齢が若いこと=素晴らしいこと。
このような考えが日本人の心の根底にあります。
しかし。
ここで注意してください。
この「年齢」とは「肉体的年齢」に限定されるものなのです。
「精神的年齢」はここでは全く考慮されていません。
この理由はなぜでしょうか?
それは端的に言って「精神的年齢」は「肉体的年齢」に拘束されるという強迫観念。
そのような観念が日本人の心の奥底に巣食っています。
そこで先ほどの「青春」という詩に話を戻しましょう。
この「青春」という詩は「肉体的年齢」から「精神的年齢」は切り離すことは可能である。
と言っているのです。
わたしは22歳を超えても決してかなしみません。
むしろ年齢を増したことを喜びとするでしょう。
それだけ新たな知恵や知識が身についたという理由で。
しかし。
加齢を喜べるには「人生を真剣に生きるなくては」なりません。
真に自分自身を「メンテナンス」してゆくという心構え。
それができれば「老化」はむしろ喜ぶべきものに変貌します。
中国では古来より「老人」という言葉は誉め言葉でした。
日本人もそのような方向に自身の年齢観を転換してゆかなくてはなりません。
超高齢化社会が到来する21世紀。
「老化」の問題に対する意識の改革はわたしたちに突き詰められたあまりに重要な課題です。
「黒猫館守護神」
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