東京・渋谷〜1986〜

 

1986年バブル狂乱前夜のクリスマス・イヴ。
80年代、それは日本の「戦後」という時代の末期の煌きの時代だったのかもしれない。

その時代、誰もが明るく希望に充ちた21世紀を想像していた。
道ゆくひとの顔には影ひとつなかった。

「ジャパン アズ ナンバーワン」。

そんな言葉が人々の口から歌声のようにもれ、
人々は消費の快楽に身をゆだねていた。

そんな時代の東京・渋谷・パルコ劇場前から物語は始まる。

 

<紅狗光子(あかぐみつこ・のちの光姫)>

美影ネエ、今夜のお芝居凄かったネ!

<紅狗美影(あかぐみかげ・のちの影姫)>

ええ。
そうね。
郷田さんが凄いハマリ役、物凄い迫力だったわ。

<光子>

深浦さんも凄かったネ!
深浦さんってなんか美影ネエに似てる!

<美影>

お世辞は嫌いよ。
光子。

<光子>

お世辞じゃないってば!
神秘的なあの雰囲気、美影ネエにそっくりだと思うヨ! 

 

その日は川村穀が主宰する「劇団第三エロチカ」公演『ラスト・フランケンシュタイン』千秋楽であった。
小劇場の千秋楽というものは役者と観客の興奮が最高潮に達し、熱狂的な雰囲気の中で演じられる場合が多い。
その日の『ラスト・フランケンシュタイン』もまた観客の興奮と共に終劇したのだった。
今、光子と美影はパルコパート1の出口に立っている。

 

<光子>

このまま帰るのはまだ時間があるヨ!
美影ネエ、ちょっと駅の反対側に行ってみようよ!

<美影>

それもいいわね。
冬の冷たい風も火照った身体には調度いいわ。
 
 

 

光子と美影は渋谷駅の反対側、つまり代々木公園方面に向かって歩き出した。
しばらくすると横に小劇場「ジャンジャン」の小さな出入り口が見える。
「寺山修司脚本・『血は立ったまま眠っている』」の観客たちもジャンジャンの小さな出口から出てきていた。 

 

<光子>

美影ネエ!
今夜はネエの好きなお芝居に付き合ったんだから、今度はわたしの好きなアニメにつきあってね! 

<美影>

どんなアニメが今流行っているの?

<光子>

もちろん『うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー』だよ!
この映画でうる星はもう終わりなんだって!
なんだかかなしいヨ。・・・ 

<美影>

『うる星やつら』ももうお終いなのね。

でも『うる星やつら』が終わっても、友引町の住人は生きているわ。

ひとりひとりの心の中にね。 

 

美影と光子がNHKホールの前を通った時、光子がぽつりと言った。

  

<光子>

美影ネエ・・・
本当に行くの?・・・
独逸。、、、

<美影>

わたしは行かなくてはならないの。
もう心に誓ってあるわ。

光子。
来年3月わたしはベルリンに旅発ちます。

でも悲しまないで。
私たちは再び会えるわ。 

 

代々木公園が見えてきた。

 

<光子>

でも・・・美影ネエの成績だったらどこの大学でも入れるわ。
なぜ独逸なんかに・・・?

<美影>

光子。
貴方はマレーネ・デートリッヒという歌手を知っている?

<光子>

名前だけは。・・

<美影>

マレーネはナチス台頭時代に生きた独逸の歌手謙女優よ。
彼女の人気はその当時、凄まじいものがあったといわれているわ。

しかしその人気を利用しようとしたアドルフ・ヒットラーに勧誘されたの。
ナチス・プロパガンダの映画に出ないか?と。

<光子>

それでどうしたの?

<美影>

マレーネはきっぱり断ったわ。
そしてナチス賛美の嵐が吹き荒れる独逸国民から「売国奴」の汚名を着せられて、
独逸を旅立った。
 

美影と光子は代々木公園に入ってゆく。

 

<光子>

可愛そうなひとね。
その人。

<美影>

マレーネはそれから世界各国を旅しながら、
『リリー・マルレーン』を歌ったわ。
連合国側の兵士には英語の歌詞で。
枢軸国側の兵士には独逸語の歌詞で。

こんな無意味な戦いを止めることを祈りながら。 

 

美影が大きな樹の前で立ち止まってまっすぐ光子を見た。

 

それはマレーネにとって「すべての人間的なもの」を抑圧しようとする勢力との孤立無援の戦いだった。

だからわたしも戦うために独逸に行くの。

形はちがってもいまも世界中で眼に見えない戦いは続いているわ。
わたしはそんな戦いで傷ついた人たちを癒してあげなくてはならない。

それがたとえ「SM」という歪んだ愛欲の形であってもよ。

光子。

わたしは貴方のように光の当たる世界では生きられないわ。
だから地下にもぐり孤独な戦いを戦わなくなくてはならない。

そのために「SM」の本場である独逸で修業しなければならないの。
そのことがどんなに他人からナンセンスな馬鹿げた行為だと笑われようとね。
そうとしかわたしは生きられない。

それがわたしの「運命」であるならば。

<光子>

解ったわ。
美影ネエの決心は固いのね。

・・・・・・
独逸でも頑張ってね!!
別れるのはつらいけど・・・

<美影> 

私達の名前に「光」と「影」が付いているのは決して偶然ではないわ。

光と影は表裏一体。

光あるところに影は生じ、
影あるところに光は照りつける。

だからわたしたちはきっと再会するわ。

私たち二人の人間としての価値を決定する本当に大事な場面でね。

<光子>

「本当に大事な場面」

<美影>

今、世界に「絶望」という最悪の風潮が流れ出している。
そのことはわたしにはわかるの。

さっき、渋谷で狂ったように笑っていた人たち。
あの人たちの顔にも暗い影がみえたわ。

世界が絶望に覆い尽くされようとする正にその最後の瞬間、
わたしたちの「本当の戦い」は始まるでしょう。

光子、
その時まで貴方も精進なさい。

貴方の持っている不思議な力はその決戦の時に本当の威力を発揮する。

だから、その時まで。
しばしのお別れよ。

<光子>

美影ネエ。・・・
わかった。
わたしも頑張る。

 

美影は再び光子に背を向けると独逸語で唄を歌いだした。

 

<美影>

Deine SChritte kennt sie,
Deinen Zieren Gang Alle Abend brennt sie,
Doch michi vergas sie lang
Und sollte mir ein leid lang
Und sollte mir ein Leids geschehn
Wer Wird bei der laterne stehen/

Mit der LilLi Marleen?

「眼を閉じるならば見えてくる。
街のイルミネーションに浮かぶ貴方の姿。

もしわたしたちが生きて還れるならば、
再び会える。
リリー・マルレーン」 

 

<光子>

この唄は?

<美影>

『リリー・マルレーン』の一節よ。
光子。
わたしたちも再会しましょう。
その「運命の日」に。 

 

夜はいつのまにか12時を回っていた。
しかし渋谷方面からの喧騒は絶え間なく聞こえてくる。

美影と光子は営団地下鉄「代々木公園」駅に向かって帰路についた。