黒猫館の秘密
(黒猫館館長の話)
(現在の黒猫館全景)
<黒猫館館長>
さて・・・いよいよ話さねばならぬ時が来たか・・・。
影姫、光姫よ。
黒猫館の「扉」に安置されている像はなんの像だと思う?
<影姫>
あの像は確か「オルフェウス教」の主神の像だと以前聞いた事があります。
<黒猫館館長>
そのとおり。
あの像はまさしく「オルフェウス教」の主神「オルフェウス」つまり「黒猫館守護神」様の像だ。
光姫よ。
「オルフェウス教」についてなにかしっているか?
<光姫>
いいえ、館長様、聞いた事もありません。いったいどんな宗教なのですか?
<黒猫館館長>
「オルフェウス」教とは古代ギリシアにおいてひとりの聖人がオルフェウス様と交感を得た時に始まった密儀宗教だ。
その聖人こそ初代「黒猫館館長」ということになっている。
もっともその時代はまだ「黒猫館」という建物自体が存在していなかったが。
オルフェウス教の基本は現世肯定だ。そこが当時大いに流行していたグノーシス主義と違うところだ。
<光姫>
「グノーシス主義」とはなんなのですか?
館長様。
<黒猫館館長>
グノーシス主義はこの世界を悪の創造物と説く極めて危険な思想運動だ。
過激なグノーシス主義者には自殺することでこの世界から逃れようとする者もいたという。
その根底にあるのは厭世主義であることはいうまでもない。
<影姫>
すると「オルフェウス教」はその対極に位置するものなのですか?
<黒猫館館長>
似ている部分もあるが全く違う部分もある。
それゆえ「対極」という断定はできない。
しかしオルフェウス教は現世肯定とそこから生じる人間の自由な精神活動を重視した。
「思想の自由」これこそがオルフェウス教の最も強調する教義だ。
これも守護神様が人間に対して肯定的な見方をされている結果だ。
しかし「自由」とはいわば諸刃の剣。
一歩間違えばこれほど危険な教義もあるまい。
<影姫>
では守護神様が「自由」という教義を通して人間に期待していることはなんなのですか?
<黒猫館館長>
それは「自分の意見は揺るぎなく持つ。しかしその考えを他人に押し付けてはならない」という」ことだ。
これはフランス革命の「自由・平等・博愛」の精神に繋がるものとしてわたしは大いに同感する。
<光姫>
そんなの綺麗事みたいだと思います。
昔から人間というものはエゴの固まりでとてもそんなことはできないと・・・
<黒猫館館長>
馬鹿者ッ!!
光姫よ。
おまえは大学でなにを学んでいるのだッ!?
<光姫>
すみません。
館長様。
<黒猫館館長>
綺麗事は綺麗だから綺麗事というのだ。
汚いより綺麗なほうがいいにきまっておろう?
<光姫>
修行が足りませんでした。
<黒猫館館長>
しかし世の中には綺麗事を嫌う輩が大勢いる。
自分こそ正義だ。他人は悪だ。
他人を押しのけて自分が甘い汁を吸いたい。
これが昔からの綺麗事を嫌う自称「現実主義者」の言い分だ。
もっともわたしに言わせればそんな考えこそ「非現実的」なのだが。
話を戻そう。
オルフェウス教はその自由な教義故、古代ギリシアの哲学と相反することもなかった。
オルフェウス教徒たちがプラトンの設立した「アカデミア」で他の哲学・宗教と同席することも多かったそうだ。
またプラトン自身が黒猫館の前身のオルフェウス寺院に招かれて酒席を共にしたという記録も残っている。
しかし古代ギリシアの都市国家が廃れ、古代ローマ帝国の時代になってから事態は一変した。
西暦383年キリスト教の国教化。
そして西暦325年ニカエア宗教会議。
ここから忌まわしい「異端排斥」がはじまったのだ。
その当時キリスト教は内部分裂を起こしていた。
アリウス派。ネストリウス派。アタナシウス派。
この中でローマ皇帝と癒着していたアタナシウス派が主権を握り、アリウス派とネストリウス派を追放した。
そしてアタナシウス派は自分たちを「正統」と位置付けたのだ。
影姫、そして光姫よ。
これほど馬鹿馬鹿しい内部紛争もあるまい?
政治権力が最も強い者が宗教・思想の世界でも力を握るとは。
このニカエア会議こそ人類史における「人間的なるもの敗北」の始まりだったと言っても過言ではあるまい。
<影姫>
現在の日本国憲法の「政教分離の原則」はそのような失敗を反省してのものなのですね。
<黒猫館館長>
正にその通りだ。
そして「正統」と自らを位置付けたアタナシウス派は「ローマ・カトリック教会」としてその地位を強固なものにしてゆく。
彼らはまずグノーシス派を異端として排斥した。
その次にマニ教などの他の宗教まで彼らの迫害の手は伸びてくる。
<光姫>
するとオルフェウス教もローマ・カトリック教会の迫害を受けたのですか?
<黒猫館館長>
当然だ。
ある夜、オルフェウス寺院に火が放たれた。
そして中から逃げ出してきたオルフェウス教徒は「正統派」キリスト教徒によって捕らえられた。
そして大きな穴にオルフェウス教徒が投げ込まれるとキリスト教徒たちは上から次々と大きな石を投げつけたという。
<影姫>
なんという残忍な。
<黒猫館館長>
そのような迫害から逃れた10人前後のオルフェウス教徒たちはまずローマを脱出した。
そしてひたすら北上し現在のフランス・ガリア地方に入り、
さらにそこからボートで当時はまだ未開の地であった英国アイルランドに入ったという。
そこにちいさな小屋を建てて質素な共同生活が始まった。
この小屋こそ「最初の黒猫館」なのだ。
しかしその生活も長くはつずかなかった。
西暦10世紀頃からノルマン人が英国に上陸した。
アイルランドもまた彼らによって危険にさらされた。
そこで黒猫館は再び大陸に戻り、ルーマニア山間部、独逸騎士団領などを点々とすることとなる。
<光姫>
黒猫館の歴史とは迫害との戦いの歴史だったのですね。
<黒猫館館長>
そのとおりだ。
光姫よ。
黒猫館の「病者・弱者・少数者の絶対の味方たれ」という根本精神はこのような成立過程と大いに関係がある。
そして15世紀黒猫館にとって大きな転機が訪れる。
神聖ローマ帝国の司祭、ヤン・フスが黒猫館を訪れる。
彼は当時のローマ・カトリック教会の絶対体制に大いに疑問を持っている神学者だった。
当時の黒猫館住人の考えに理解を示したヤン・フスは住人たちの推薦によって代17代黒猫館館長に就任する。
これで黒猫館は影の世界から表の世界へ帰還できる大きなチャンスだったのだ。
しかし・・・
<影姫>
しかし?
<黒猫館館長>
1414年コンスタンツ宗教会議が開かれる。
そこでヒエロスムスの教義を支持したヤン・フスは異端の烙印を押される。
<影姫>
そしてあの「フスの火刑」が?
<黒猫館館長>
ヤン・フスは捕らえられ、たちまち火刑台に縛り付けられた。
その時の彼の形相は悪魔よりも恐ろしい憤怒に充ちたものだったと伝えられている。
<影姫>
なんというおいたわしいや・・・
<黒猫館館長>
そして黒猫館住人は再び放浪の旅にでる。
その時期、ヨーロッパではルター・カルヴァンを中心とした宗教革命が起こっていた。
しかしその宗教革命もまたユグノー戦争やあの悪名高い30年戦争を引き起こした原因になってしまった。
この頃から黒猫館の「黒猫館は決して人目につく場所にでてはならない」という館則が固まりだした。
それはこの世界への絶望だったのだろうか?
いや、違うとわたしは思いたい。
世界の裏側からしか見えない真実もある。
黒猫館の使命とはたえず世界の影から
、虐げられ、追いやられ、そしてもう希望を失い死のうとしている人間たちに、
もう一度この残酷な世界に抗って、生きてみようとする勇気を与えること。
そうわたしは固く信じている。
<影姫>
それはまさに黒猫館の「扉」に書かれている信条そのものですね。
<黒猫館館長>
そうだ。
あの扉の文句は守護神様の啓示を受けた代21代黒猫館館長が人間語に訳して書き記したものと記録されている。
その21代館長こそあのバルーフ・スピノザだったのだ。
<光姫>
『エチカ』の作者ですね。
<黒猫館館長>
そうだ。
スピノザもまた異端としてユダヤ教から破門された男だった。
「破門」この恐ろしい処置が光姫、おまえにわかるか?
<光姫>
ええと・・・
村八分のことでしょうか?
<黒猫館館長>
甘すぎるぞ。
村八分どころか村十分だ。
一端破門された者はその者に近づいただけで呪いがかかると皆に宣伝されるだ。
故に破門された者はもう誰からも相手にされることはない。
一生、一人で暮らさねばならぬのだ。
「一生一人」
光姫よ。
そのつらさがおまえにわかるか?
<光姫>
いいえ、館長様、到底わたしには理解できません。
<黒猫館館長>
破門とはもしかしたら死刑より重い処罰なのかもしれぬ。
そのようなスピノザを哀れんだ黒猫館住人は彼を黒猫館に迎えた。
そしてやがて黒猫館館長におさまったスピノザは黒猫館館長室で『エチカ』を書き上げたといわれている。
こうして近代、現代に至るまで黒猫館の旅は続いた。
そして20世紀末期、インターネットの世界に居場所を見出した黒猫館住人は2002年ウェブ・サイト「黒猫館」を立ち上げることになる。。
インターネットの世界でも黒猫館の使命は変わっていない。
しかしひとつだけ気になることが・・・
<影姫>
気になること?
<黒猫館館長>
21世紀初頭、黒猫館に大いなる戦乱が生じるだろう。
そしてふたりの戦士がこれに立ち向かうという啓示を前黒猫館館長がうけとったという。
「ふたりの戦士」とは一体誰なのか?
<光姫>
わかりません。・・・
<黒猫館館長>
さてこれがわたしの知っている「黒猫館の秘密」のすべてだ。
しかしまだ謎は多い。
「くらやみ男爵」とはなにものなのか?
そして守護神様の真の目的は・・・?
そして「ふたりの戦士」とは?
それはまだわたしにもわからぬ。・・・