悪魔のいる幼年期

 

 

 

 

 白血病、骨肉腫、膠原病、イレウス、、、

 幼年時代のわたしはいつも怯えていた。
 何に怯えていたのかって?
 決まっているさ。わたしはいつだって「病気」に怯えていた。

 じぶんが内側から蝕まれていく恐怖。

 病室の白い壁。
 奇怪な形をした医療器具。
 無表情な医師たちそして看護婦。
 白昼夢、そして死。

 そんなわたしの原風景(人の心の奥にある原初の風景。懐かしさの感情を伴うことが多い。また実在する風景であるよりは、心象風景である場合もある。個人のものの考え方や感じ方に大きな影響を及ぼす。)はいったいどこからやってきたのであろうか?・・・

 思い出せば、ほのくらい自宅の居間で、母がちゃぶ台に座って熱心に観ていた一本の映画がある。
 この記憶の中に父は登場しない。
 わたしの記憶では父は毎夜のように酒を飲みに出かけているのだった。

 その映画は野村芳太郎監督『震える舌』(松竹映画&1980年度映画)、破傷風にかかった少女の映画である。
 
 「おいで、おいで、その日、少女は悪魔と旅に出た。」

 これは『震える舌』の宣伝コピーである。悪魔とは破傷風の暗喩である。
 映画の冒頭で少女は団地の狭間で虫を殺して遊んでいる。
 わたしはこの風景に戦慄せざるをえない。なぜならわたしもいつもカエルを殺して遊んでいたから。

 そうだ。少女はバチを当てられたんだ。
 そんなほの暗く自虐的で狂おしい想いにわたしは囚われる。
 少女は悪い虫遊びの代償を破傷風という形で払わされた。
 それではわたしはどんな病気で代償を払わせられるのだろう?。。。

 これは幼年期のわたしがいつもこころに描いていたわたしなりの『罪と罰』の物語であった。

 『震える舌』の主人公の少女は光や音に反応して発作を起こす。

 「キーーーーーーーーーッ!!」その怪鳥のような叫び声にわたしは心底恐怖した。
 そしてそんな少女を無理やりに押さえつける鬼畜な看護婦ども!

 そんな病院の白い闇の中でもがき苦しむ少女の姿にわたしはいつもじぶんを投影していた。

 わたし「いつかじぶんもああなってしまうんだ。。。
      いつかじぶんもああなってしまうんだ。。。」

 このようにわたしはいつもじぶんと『震える舌』の少女を重ね合わせていた。
 さよう、まさに『震える舌』に登場する風景こそわたしの現風景だったのであろう。

 いつしかわたしは小学生から中学生、そして高校生へと成長していった。
 そしてすこしづつ「病気」への恐怖が薄らいできたようである。
 しかし変なのだ。
 わたしは最近また病気の恐怖に囚われている。

 胃がん、肺がん、すい臓がん、大腸がん、わたしの体内でひっそりとそんな異物が成長し始めるのではないのか、という恐怖。

 どうやらわたしは20代、30代の青年期に一時的に病気への恐怖を忘れていただけだったようだ。
 「病気」はわたしの体内でHIVウイルスのようにひっそりと発芽のときを待っている。
 だからこそもう一度観ようではないか。
 『震える舌』を。
 死の勝利、暗黒への凱歌の魁(さきがけ)として。

 最後にわたしが敬愛する詩集、吉原幸子師著『幼年連祷』(歴程社)から然るべき箇所を引用してこの小文を締めさせていただく。

 


 「虐殺」(『幼年連祷』より)

 「青虫 ふみにじられ 草の血か 土を染める緑(あお)い死
  宴の終り
  赤い血は空に流れて 凶々しい夕焼け

  夏草  しげりはじめた 廃(ふる)いテニスコート

  肺病の少女 が 暗い窓の向ふにゐる」


 (了&合掌)

 

(黒猫館&黒猫館館長)