『最後の箱』(「便所掃除」収録。)
濱口国雄著。R.P.シリーズ(飯塚書店)。略折込カバー・帯・元パラつき完本。1958年9月1日発行(初版)。定価150円。帯文>伊藤新吉・近藤東。序文=壺井繁冶。
内容>
「序」
「貨車押」
「にくい」
「便所掃除」
「捕虜」
「貨物現場」
「斗争」
「最後の箱」
「あとがき」
「便所掃除」という詩一篇だけで突如有名になってしまった国鉄詩人&濱口国雄の第一詩集がこの『最後の箱』である。
この『最後の箱』という詩集の中で「便所掃除」という詩が初出された。
茨木のり子女史が『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)で「便所掃除」を紹介してから、映画『男はつらいよ』で「便所掃除」が朗読されたとか、学校の先生が「便所掃除」を教材に使ったとかで「便所掃除」は非常に話題性に富んだ詩篇に出世してしまった感がある。
確かに「便所掃除」は優れた詩である。
そのことはわたしも同意する。
しかしどういった系譜で「便所掃除」という詩が生まれてきたのか??ということを考えるのも重要なことである。
さてこの話題の詩「便所掃除」の作者は「浜口国雄」である。一部に「濱口國雄」という表記を見るがそれは間違いであると指摘しておこう。
この「浜口国雄」という人物は1920年福井県で生まれた。そして1940年日本陸軍に従軍して45年本土へ復員、1947年に国鉄に就職したというこの当時の日本人としては平均的な人物ということができる。
ここで重要なのが浜口国雄が普通の会社ではなく「国鉄」に就職したという点である。
この当時の国鉄は「労働と詩作の両立」を掲げた「国鉄詩人」なる者たちが沢山存在しており、詩作を実行するには最適な環境だったらしい。この国鉄への就職が浜口国雄の詩人としての出発に重要な役割を果たしている。
この当時の国鉄詩人には、あまりにもインパクトの強い題名で有名な『糞』という第一詩集を上梓した遠藤恒吉などが居て、詩作の仲間には恵まれていたようである。
さてこのような「国鉄詩人」たちが書く「国鉄詩」であるが、やはりその多くが労働体験に基づく「生活実感詩」という詩的レヴェルに留まっていたようである。すなわち国鉄での労働をそのまま文字にした、そういう詩が多かったらしい。
しかし浜口国雄は違った。
「便所掃除」について茨木のり子女史が指摘しているように、最後の四行で見事に「詩的跳躍」に成功している。
つまり「便所掃除」は国鉄での労働体験に基づく「生活実感詩」というレヴェルを遥かに超えて、綿密な詩的方法論に支えられた「純粋詩」のレヴェルに達している。
そういう意味で「便所掃除」は数多くの国鉄詩人たちが書き散らした膨大な無名の詩群の中から異様な光芒を放って突出することになる。
事実、浜口国雄は「便所掃除」一篇のみで国鉄詩人連盟第5回国鉄詩人賞を受賞している。
さてこの稿の主題である浜口国雄の第一詩集『最後の箱』であるが、戦争体験を書き綴った「捕虜」、国鉄の過酷な労働環境を詩にした「貨物現場」、春闘やストライキを題材とした「斗争」など全7編から構成される。
浜口国雄の傑作「便所掃除」という詩がどのような背景で生み出されたのか??を知るために、この『最後の箱』における詩群は重要な詩群と位置づけられるだろう。
さてこの『最後の箱』という詩集はほとんどがイタミ本が多くキレイな本を探すには苦労させられる。
特に帯・元パラまでついている本は極稀。
現在はまだそれほどの古書価がついているわけではないが、将来の高騰が予想されるまさに「戦後の名詩集」の一冊であると言っても良い。
最後に「便所掃除」を引用して本稿を締めさせていただく。
「便所掃除」
扉をあけます。
頭のしんまでくさくなります。
まともに見ることが出来ません。
神経までしびれる悲しいよごしかたです。
澄んだ夜明けの空気もくさくします。
掃除がいっぺんにいやになります。
むかつくようなババ糞がかけてあります。
どうして落着いてくれないのでしょう。
けつの穴でも曲っているのでしょう。
それともよっぽどあわてたのでしょう。
おこったところで美しくなりません。
美しくするのが僕らの務です。
美しい世の中もこんな所から出発するのでしょう。
くちびるを噛みしめ、戸のさんに足をかけます。
静かに水を流します。
ババ糞に、おそるおそる箒をあてます。
ポトン、ポトン、便壺に落ちます。
ガス弾が、鼻の頭で破裂したほど、苦しい空気が発散します。
心臓、爪の先までくさくします。
落すたびに糞がはね上って弱ります。
かわいた糞はなかなかとれません。
たわしに砂をつけます。
手を突き入れて磨きます。
汚水が顔にかかります。
くちびるにもつきます。
そんなことにかまっていられません。
ゴリゴリ美しくするのが目的です。
その手でエロ文、ぬりつけた糞も落します。
朝風が壺から顔をなぜ上げます。
心も糞になれて来ます。
水を流します。
心に、しみた臭みを流すほど、流します。
雑巾でふきます。
キンカクシのウラまで丁寧にふきます。
社会悪をふきとる思いで、力いっぱいふきます。
もう一度水をかけます。
雑巾で仕上げをいたします。
クレゾール液をまきます。
白い乳液から新鮮な一瞬が流れます。
静かな、うれしい気持ですわってみます。
朝の光が便器に反射します。
クレゾール液が、糞壺の中から、七色の光で照します。
便所を美しくする娘は、
美しい子供をうむ、といった母を思い出します。
僕は男です。
美しい妻に会えるかも知れません。」
『最後の箱』(11p~15p)
(了&合掌)
(黒猫館&黒猫館館長)