絵のある本と絵のない本

(2017年9月20日(水曜日))

 

(↑澁澤龍彦『幻想の彼方へ』(美術出版社)&代表的な「絵のある本」))

 

 

 前回のエッセイ「帯へのこだわり」で友人A氏から澁澤龍彦の『フローラ逍遥』(平凡社)についての話が出た。
 「そういえば『フローラ逍遥』には帯つきがないですね。」という話の流れで『フローラ逍遥』がピックアップされたのであるが、この『フローラ逍遥』にはもうひとつ重要なポイントがある本である。
 
 今回はその『フローラ逍遥』の「もうひとつの重要なポイント」についての話をしたいと思う。

 さて『フローラ逍遥』は軽ろやかで穏やかな感じの花のエッセイという風情の本で、澁澤のサド関係の核(コア)の部分にはあまり興味がない女性層に多大な人気がある本であるという。
 しかし『フローラ逍遥』の人気の源(みなもと)は本当にその部分だけに求められるものであろうか??

 その答は「否」である。
 『フローラ逍遥』の人気の源は「花のエッセイ」という文章の部分のみではなくこの本の世界を多彩に彩る「花のイラスト」にあるとわたしは睨(にら)んでいる。
 要するに『フローラ逍遥』は「絵のある本」なのである。
 このことは実は古書蒐集の世界で非常に重要である。

 話をわかり易くするために澁澤本に限って話を進めるならば『フローラ逍遥』の他にも『悪魔の中世』『幻想の彼方へ』『幻想の画廊から』などの本には多彩な図版が使用されている。
 そのためかこの三冊の本は昨今値崩れが甚だしい澁澤本の中でも相変わらず一定の古書価を保っている。
 (実はこの三冊の本には「枡形本」である、という隠された重要な共通項があるのであるがそのことはまた後の機会に詳述する。)

 さて「絵のある本は値崩れしにくい」、その理由はいったいなぜであるのだろうか?

 昨今の若者たちのビジュアル志向が原因だと軽く結論することもできるだろうが、わたしとしては事態はそんなに簡単なことではないように思われる。

 「絵のある本」は「わかりやすい」これが重要なのではないだろうか?
 どんな人間が見ても「花の絵は花の絵」である。
 つまり「絵のある本」はダイレクトに人間の頭脳にインプットされる。
 
 しかし「文章だけの本」はそういうわけにはいかない。
 「文章を読む」→「文章を解釈する」→「文章を理解する」という手順を踏まなくては「文章だけの本」を頭脳にインプットすることはできない。

 このように書いても、別にわたしは「文章だけの本」より「絵のある本」のほうが高級だと言いたいわけではない。
 単に「値崩れしにくい理由」を書いているのだから、読者の諸君はくれぐれも誤解しないでくれたまえ。

 そのように考えれば「児童書」が高い理由にも納得がいくだろう。
 昭和30年代~40年代の怪奇&SF&推理&探検関係の児童書は児童書専門店で目玉が飛び出すような値段で売られている。
 これも「児童書には絵が多い」という理由から導かれる当然の帰結であるように思われる。

 限定本出版書肆「成瀬書房」の本の値崩れが甚だしいのもまた成瀬書房の本には一切の絵が入っていない、という理由であるように思われる。
 成瀬書房と好対照を為す限定本出版書肆「湯川書房」が積極的に、望月通陽&柄澤斉&北川健次&戸田勝久といった昨今の人気美術家を起用して「絵のある本」の製作に専念したがゆえに、現在でも湯川書房の本は一定の古書価を保っているように思われる。

 さて諸君、かように本における「絵のあるなし」は非常に重要である。
 諸君が一冊の本を購うか否か迷ったときには「絵が入っているか」をチェックしてくれたまえ。
 そのことは絶対に諸君の古書ライフに有益な結果をもたらすだろうとわたしは確信している。

 

  

(黒猫館&黒猫館館長)