わたしにとっての怖い絵

(2013年1月29日)

 

 

 1 エル・グレコ展開催。


 2013年初頭。
 
 東京都&上野の東京都美術館で「エル・グレコ展」が開催されているという。
 わたしもこの機会に「エル・グレコ展」を観るために上京してみる予定である。

 さて「エル・グレコ」、この画家についてわたしは詳しくは知らない。「エル・グレコ」といえばスペインのプラドの住んだルネッサンス期の宗教画家、という認識がある程度である。

 しかし「エル・グレコ」という名前を聞いただけで、わたしはある種のさむけに襲われる。遠い記憶が過去の記憶の累積から呼び戻される。
 あれは確か2009年の春、スペインを周遊した時のおもいでだった。





 2 プラドへ。

 西暦2009年陽春。
 スペインに遊んだわたしは首都マドリッドからバスに乗ってプラドへ移動していた。
 プラドは山の上に建造された山岳都市である。
 プラドのような形式の都市は日本には存在していないので、説明が難しいのであるが山の上に大都市が広がっていると考えてくれればよい。
 
 とにかく坂道の上をくにゃくにゃと道路が走っている。
 この細い道路をバスで駆け上がるのだ。
 日本では想像もできないバス運転手の荒業にバス乗客はみな肝を冷やしていた。

 しばらくするとバスを降りてください、という添乗員の指示がある。
 バスを降りると今度はエレベーターがある。
 このエレベーターも日本には類型がない種類のものである。山の斜面に沿ってエレベーターが上下しているのだ。
 このトンでもなく長いエレベーターに乗ってわたしたち日本人観光客は山の山頂を目指した。

 サント・トメ教会。
 この教会に保存されているエル・グレコ「オルガス伯の埋葬」を観ることがツアーの目的であった。つけくわえて説明するならば「オルガス伯の埋葬」はベラスケスの「宮廷の待女たち」、レンブラントの「夜警」と共に「世界三大名画」に数えられている。

 異常とも言ってよいほど長いエレベーターから降りると、サント・トメ教会はすぐ側である。
 ツアー一行はサント・トメ教会の中に入場する。
 意外と小さな教会である。その小さな教会の中でも一番奥のさらに小さな部屋に入る。
 この部屋に「オルガス伯の埋葬」が保存されているらしい。
 なにか幕に覆われたものが壁にかかっている。
 現地ガイドと修道士がもったいぶった格好をしながら幕を引いた。その次の瞬間・・・

 わたしは「アッ!」と驚愕した。
 「オルガス伯の埋葬」はわたしの想像していたものと全く違っていたからである。
 とにかく色使いが毒々しい。そしてなにより驚いたのはその構図である。
 下半分がオルガス伯の埋葬の場面、上半分が天上界の風景となっている。こういう構図の絵をわたしは一度も観たことはない。

 

      

         (エル・グレコ『オルガス伯の埋葬』)




 わたしと日本人観光客は水を打ったように無言で「オルガス伯の埋葬」を観続けていた。
 わたしは自分がなぜ驚いたのかだんだんわかってきた。

 そうだ、、、これはまさに小学校時代に理科室にあった人体解剖図のようだ。
 中央の一列に並んだ人間たちが横隔膜であり、その上に肺らしきものがある。
 わたしにはそのように見えた。

 わたしはショックでふらふらしながらこう考えたものだ。
 ルネッサンス期といえば解剖学がおおいに発達した時代だである。
 この作者のエル・グレコはもしかして、この「オルガス伯の埋葬」に人体解剖図をカモフラージュしたのではないのか。・・・

 「キモチワルイ」、、、しかしこれは神聖な宗教画なのだ。相反する感情に苛まれながら、わたしはサント・トメ教会を出て山を下った。

 これがマドリット郊外プラドのサント・トメ教会におけるわたしとエル・グレコの衝撃的な出会いである。





 3 甲斐庄楠音の二人道成寺。


 さて世の中には自分と似たようなことを考える人間がいるものである。
 わたしがスペインのプラドで体験したショックと同様のことを本に書いている作家がいる。
 その作家とは久世光彦、向田邦子の番組で有名な放送作家である。

 その久世光彦の著作に『怖い絵』(文藝春秋)という本がある。
 この本の中で久世光彦は、大正期の異端の日本画家「甲斐庄楠音(かいのしょう きつおと)」の「二人道成寺」を挙げて、この絵が怖くてしかたがない旨を述べている。

 

 

 

      

               (甲斐庄楠音『二人道成寺』)



 さてこの「二人道成寺」のどういう点が怖いのか?

 久世光彦によるとこの二人の赤い着物を着た女性の腰から足にかけてのラインが「大腸」に見えるらしい。さらに画面真ん中やや下方には真っ黒い腎臓が見える、と指摘している。
 なるほど言われてみれば確かにそのように見える。
 久世光彦の体験した「怖い絵」もわたしがスペインのプラドで見た「オルガス伯の埋葬」と同様の恐怖であった。まるで絵全体が人体解剖図のように見えるのだ。

 久世光彦のこのエピソードを読んでわたしは安心した。
 自分の頭が狂気に走っているのではないことを。そして「怖い絵」というものは古今東西どこにでも偏在する不可思議な存在であることを知った。





 4 恐怖の美術史。


 歴史上、「怖い絵」を好んで描いた画家は枚挙にいとまがない。
 ゴヤ、ボッス、クラナッハ、ブリューゲル、ルドン。。。探せばまだまだいるだろう。

 わたしは美術に疎い。
 しかしわたしにはホラー映画や怪談を愛好する「恐怖の資質」が備わっている。
 つまり「恐怖」という側面から美術史に切り込んでゆくのだ。

 そうすれば必ず「なにか」がわかってくるだろう。
 表の美術史に隠された裏面つまり「黒い」恐怖の水脈があるだろうことが。
 そして世間では「名画」と呼ばれている絵画のどす黒い本質について。

 わたしはこれを「恐怖の美術史」と呼んで今後の研究テーマにするつもりである。

 さて、夜も更けてきた。

 わたしはこれからもう一度「オルガス伯の埋葬」をじっくり鑑賞してから就寝することにしよう。
 
 その絵の中にまた新たな「恐怖」を発見してしまう予感に身を打ち震わせながら。



 (了)
 

 

(黒猫館&黒猫館館長)