【中東紀行 71】さらばオキアイさん

 

 

  

 

 斎藤さん、今野さん、わたしの3人は甲板の椅子に座り続けていた。テオドシアスの城壁(約1000年にもわたってコンスタンチノープル(現在のイスタン ブール)を守ってきた3重構造の堅固な城壁。現在でもその遺跡を見ることができる。)が形がまるでアニメーションにように変わってゆく。

 しかしいくら風景が変わろうと三人はじっと城壁を見詰めたまま誰も話そうとしないのであった。

 その時、甲板に四人目の人影が現れた。
 オキアイさんである。
 オキアイさんはわたしの隣に腰掛けると微笑みつつ3人に言った。「どうでした?トルコ旅行は?」
 
 わたし「おかげさまですばらしい旅となったです!!」
 斎藤さん「もうオキアイさんったら、今日でお別れなんて寂しいわ〜・・・」

 わたしと斎藤さんがオキアイさんと別れを惜しんでいる間も今野さんは無言で城壁を見つめつづけているのであった。

 オキアイさんがゆっくりと口を開く。
 「このテオドシアスの城壁は約1000年もの間、コンスタンチノープルを守り続けてきました。しかし1453年5月28日、コンスタンチノープルは完全にオスマントルコ軍に包囲されました。」

 再び始まった「オキアイさんのお話」にわたしと斎藤さんはじっと耳を傾けた。恐らくこれが最後の「お話」となるだろう。一言も聞き漏らしてなるものか!

 「5月28日の夜、ビザンチン帝国最後の皇帝・コンスタンティヌス11世が聖体礼儀(日本では「最後の晩餐」とも呼ばれるキリスト教の最重要な 礼拝のひとつ。キリスト教ではワインはキリストの血、パンはキリストの肉、と喩えられることから食事しながらの礼拝がしばしば行われる。)をアヤソフィア で開催しました。しかしその礼拝に参加できたのは側近・兵士・奴隷・一般市民も含めてたった十数人だったと言います。」

 栄華を極めたビザンチン帝国の最後の皇帝に付き従う者はたった十数名だったのか。歴史の栄枯盛衰を感じるエピソードだな。

 オキアイさんが話を続ける。
 「聖体礼儀は夜通し行われました。そして明けて29日、アヤソフィアにオスマントルコ軍がなだれこんできました。
 コンスタンチヌス11世は自ら剣を抜くと十万人以上のオスマントルコ軍の雪崩の中にたったひとりで切り込んでゆきました。
 ・・・ここで1000年以上続いたビザンチン帝国、引いては紀元前から続くローマ帝国は完全に終焉したのです。」

 これが歴史上に名高い「コンスタンチノープルの陥落」か。なんだか悲愴なエピソードであるな。

 オキアイさんがゆっくりと立ち上がった。
 オキアイさん「これでわたしの話はすべて終わりです。短い間でしたが楽しかったです。それではさよなら・・・」

 オキアイさんは再び客室へ向かって歩き出した。せめて握手を!と思ったわたしであるがその時はオキアイさんの姿は消えていた。

 それにしてもオキアイさんの最後のお話はわたしの胸にズーンと響くものがあった。コンスタンチノープルの陥落のエピソードがトルコ旅行最後の思い出に不思議に重なる。
 恐らくオキアイさんは意識していたのだろう。
 コンスタンチノープル陥落の話がツアー一行への最後のお話にふさわしいと。・・・

 小型客船は予想以上にぐらぐら揺れる。
 激しく揺れる甲板の上でわたしはオキアイさん最後のお話の余韻を噛み締めていた。


(画像は小型客船から見たイスタンブール)

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)