三角形の家

 

  

 

 

 

 『マゾヒストたち』(薔薇十字社)など奇妙な味に溢れた一コマ漫画で知られるローラン・トポールの代表的長編小説 『幻の下宿人』(早川書房・映画は「テナント・恐怖を借り た男」ロマン・ポランスキー監督)は怪しいアパートに引 っ越してきた男が、謎の物音、壁に挟まっている歯、奇妙な 隣人たちの視線、などなど様々な要因によって除除に精神が崩壊していく物語である。

 わたしはこの小説を小学生の頃に読み、最近でも部分的に拾い読みしてみる時がある。そしてそのたびに目の前に広がる風景がある。 陰鬱な曇り空の下にポツンと立つ「三角形のアパート」の風景を。

 1980年代後半、わたしは秋田から大学へ入学するため上京した。
 そして神奈川県山間部に位置する某大学の教養課程のキャンパスに通うためにアパートを探しだした。
 父の紹 介である。それが「三角形のアパート」である。
 正確にいえばそのアパートは三角形の土地のしかも斜面に立てられていた。
 なぜ父がこんなアパートを紹介したのか今でもまったくわからない。

 入居して一月ほど経った頃である。深夜の二時、わたしは奇妙な物音で眼を覚ました。なにか隣室から物音がするのである。

 「ゴロゴロ・・・ゴロゴロゴロ・・・」

 それはまるで鉄球を転がしているような音であった。父の話によると隣室に住んでいるのは20代のOLである若い女性 、ゴルフの練習を深夜にしているとは思えない。
 わたしはなにかすっきりとしない不気味な前兆を感じながら再び眠りに
ついた。この物音はその後何度も聞こえた。


 次に入居してから3ヶ月ほど経ったある黄昏時である。大学か帰ってきたわたしは自室に入った。なにか奇妙なふんいきがする。釈然としないものを感じながらわたしはひょいと天井を見上げた。わたしは「ギョッ!」とした。

 天井にはなんと100匹以上の蝿がぎっしり張付いているのだ。
 わたしは驚愕しながらもとにかく掃除機で蝿を吸い込んだ。この時窓はしまっていたし、蛆が発生していた記憶もない。なぜ蝿が発生したのか謎であった。

 この頃からわたしの精神がどこか現実とズレ始めた気がする。夜中の三時、窓の外(二階)に人が立っているのではないかという妄想に取り付かれたのもこの時期である。
 そして大学のサークルへも行かなくなりわたしは孤立しはじめていた。
 わたしは奇妙な想念を抱き始めた。「わたしが狂っているのかアパートが狂っているのか。」

 この時期に詠んだ短歌にこういうものがある。

 「目覚めない。悪い夢みて目覚めない。
       そしてそのまま現(うつつ)となった。」

 結局、精神に変調をきたしたわたしはやがてそのアパートから逃げるように去ることになった。あとで知ったことであるが家相学的に「三角形の建物」は非常な凶相であるという。

 そしてそれから20年の年月が過ぎた今でもわたしは気になる。もしかしたらわたしの運命はあのアパートから狭い隘路(あいろ)に入り込んで、わたしはまだ悪夢から醒めていないのではないかと。

 この日記を読んでいる諸君にも警告しておく。

 「三角形の賃貸物件には決して入ってはならない。もし入ったら諸君の運命は現実からズレてどこか不可思議で異常な世界へ入ってゆくのかもしれぬ。」と。


 

(黒猫館&黒猫館館長)