イドの怪物

(講演日=2011年8月9日)

 

 

 (↑アンドレ・プルトン『超現実主義宣言』(サバト館・限定100部)

 

  




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 「魔術修行者が<危険な風景>と呼ぶところのものをわれわれは戦慄しつつ通り過ぎる。われわれは虎視眈々とつけねらう怪物の群れを呼び覚ます。」アンドレ・プルトン『超現実主義宣言』(サバト館発行・限定100部)より引用。


 2

 1990年代初頭のある年。6月。良く晴れた日。
 わたしは千葉県JR船橋駅で交通量調査のアルバイトをしていた。時間帯は朝6時から夕6時までの12時間。日給は15000円。このアルバイトを4日やれば60000円もらえる勘定になる。
 現在の大不況時代の感覚からは、とても考えられない高給アルバイトであった。

 何度も何度も電車が到着しては乗客を吐き出してゆく。この乗客の数を機械でカウントしてゆくのだ。朝のうちは良かった。しかし午後から夕方にかけて疲れが襲ってきた。
 わたしは疲れと眠気と戦いながら死にものぐるいでカウントを続けた。「6万円!6万円!6万円!」とこころの中で連呼しながら。

 
 
 3

 3日目の午後3時頃だったと思う。ふと見ると横にアルバイトの同僚が立っていてニヤニヤ笑っている。
 「よお!兄ちゃん、半分眠ってたんじゃねーの?」

 30代前半の遊び人といった風情のその男はわたしをからかった。しかし本当に半分うつらうつらしながらやっていたことは否めない。わたしは金属製の椅子から立ち上がると男と交代した。

 ここから約1時間の休憩である。
 駅前ビルの喫茶店で軽食を済ませ、トイレで用を足す。ここまでで40分。なるべく早く持ち場へ戻っていなくてはならない。
 わたしは駅前ビルから飛び出して、JR船橋駅構内へ急いだ。切符を買って構内へ入る。階段を駆け上がる。・・・その時。「それ」の映像がわたしの網膜に飛び込んできた。

 それは妊婦であった。
 妊婦は大きなお腹を抱えながらヨタヨタ歩いている。その瞬間、わたしの脳裏になにかが閃いた!
 「それ」を言ってはいけない。わたしは本能的に「それ」が現前することを恐怖した。しかし「それ」はわたしの脳の内部でどんどん大きくなってゆく。次の瞬間、まるで爆発するように深層意識から「それ」は飛び出してきた。


 「歩み寄る妊婦の腹を切り裂いて中身を取り出してみたい初夏の夕暮れ」


 短歌・・・いや短詩というものであるだろう。こんな短い詩のようなものをわたしはぶつぶつ呟いていた。
 「とうとう言ってしまった。」・・・わたしはなにか深い悔悟の念のようなものに襲われながら記念にと、この短詩をメモ帖に書き付けた。

 そして再びアルバイトの仕事を始める。そして夕6時。仕事は終わった。
 わたしは会社の人間から日給15000円を受け取ると帰路についた。
 そしてその日はそのままなにも無かったのである。その日だけは。・・・



 3

 さて精神分析によると人間の精神は「エゴ(意識)」「スーパーエゴ(超自我)」「イド(深層意識)」から構成されるそうである。エゴとは通常の人間の意識、スーパーエゴとは道徳や理性を司る倫理的規範、イドとはエゴが精神の深淵に追いやった深層意識である。

 イドを説明するには「夢」を例に出すのが一番良いであろう。読者諸君もよく夢を見るだろう。夢とは睡眠というエゴが退行した状態で飛び出してくるイドの幻影である。この「夢」は極めて健康的な現象であり、危険を伴うものではない。

 通常の場合、イドの内容を覚醒時に見ることはできない。しかしこの作業を覚醒時にやってしまう人々がいる。それは霊能力者とシュールレアリストである。

 霊能力者は霊との対話によって「チャネリング」を行い、「お筆先」と呼ばれる口述、あるいは記述によって、霊の言葉を文章化する。
 シュールレアリストは「自動書記」という特殊な技法を駆使して、普段抑圧している深層意識の内容を大胆に紙の上に暴き出す。

 しかしこれらは誰でもやって良いものではない。極めて特殊な訓練された人間だけがこういう作業を行う資格を持つ。なぜならこれらの作業は「あまりにも危険であるから」ごく普通の人間が簡単に行っても良い種類のものではないのだ。
 自動書記の場合はもし失敗したら発狂することもあるらしい。また「こっくりさん」を簡単にやってはいけない、と友だちから聞いた諸君も多いであろう。

 なぜなら深層意識によって意識が錯乱される可能性があるからだ。
 危険!あまりに危険である。決してやってはなるまい。やってはな。・・



 4

 さて4日間のアルバイトを終えたわたしは6万円を入手した。20代前半の若者に6万円は大きな金額である。わたしは有頂天になっていた。6万円の使い道を考えながらわたしは3日目に見た妊婦のことを考えていた。いったいあの短詩はなんだったのか。

 その当時、「創作活動」(わたしは詩を書く人間である)に行き詰っていたわたしはさっそくあの現象を再び起こしてみたくなった。
 もしかしたら創作活動における現在のスランプ状態を脱することができるのではないか?・・・わたしの期待は高まった。

 7月のナマ温かい夜のことである。
 わたしは部屋を真っ暗にして目をつぶった。目の前には紙と鉛筆、わたしは自動書記を自己流で行おうとしていたのである。

 なんという冒険!なんという蛮勇!!その当時はアンドレ・プルトンの『超現実主義宣言』も未読であった。なんのグル(導師)もなしにこうした魔術を行うとは!これこそまさに「若さゆえの過ち」であったのだ。


 5

 だんだん意識が遠のいてゆく。身体中がぴくぴくと痙攣しだす。しかしそれでもわたしはさらに深い深淵へと身を沈めてゆく。・・・

 やがて手がガクガクと震えだした。深層意識が意識の枠内へと湧き出し始めたのだ。手がかってに動き出した。

 「四階の中空に立つ人影は10年後に死ぬわれの亡骸(ぬけがら)」
 「写真からわれの頭が消えている 自殺後に見るファミリーアルバム」
 「校庭で生徒切り裂く担任を笑って見ている校長先生」
 「鳴るごとに惨の予感を伝えつつわれを狂わす電話一台」
 「みずからのドッペルゲンガーにおびえし日々も過ぎ行きてわれなどもう居らぬ」


 こうした「短歌」が次々と紙に書かれていく。
 約100首も書いたころであっただろうか。わたしはハッ!と覚醒した。

 ・・・凄い!!この調子で行けばわたしは確実にプロの歌人になれるだろう。そう確信したわたしは次の日も自動書記を行った。その次の日も。さらにその次の日も。・・・



 6

 そんなある日、また自動書記をやろうとして部屋を暗くした瞬間、なにかを窓の外に感じる。わたしはカーテンを開けた。しかしなにもいない。第一、ここは二階である。誰かが立っていることなどありえない。しかし再びカーテンを閉めた瞬間、また気配を感じるのだ。・・・これが地獄の始まりであった。

 わたしはあまりに気持ちが悪くなったため自動書記はお休みにして、おそまま眠りについた。
 その日の夢でわたしは悪夢を見た。
 
 死神が笑っている。
 死神が追いかけてくる。・・・
 死神に首をはねられるわたし。

 わたしは飛び起きた。とっさに時計を見る。しかしなんと就寝してから10分もたっていないではないか!

 ・・・地獄の釜が口を開いたのだ。わたしは心底恐怖した。そして後悔した。「自動書記」などというバカなことさえを始めなければ!!

 しかしもう時は遅い。
 深層意識はパックリと口を開けてしまったのだ。次から次へと怪物が飛び出してくる。・・・



 7

 アメリカの古典的なSF映画に「禁断の惑星」という映画がある。この映画に登場する「ミュータント」の正体は人間のイドが作り出した怪物であった。わたしもまたイドの怪物を自ら作り上げてしまったのだ。
 それはあたかもフランケンシュタインの怪物を作り上げて、最後は怪物に殺されるフランケンシュタイン博士のごとくに。

 ある時は大学の廊下の行き詰まりに人影を感じた。
 ある時は夕暮れ時の帰路、住宅街の窓という窓から一斉に視線を感じた。
 またある時は自宅アパートの玄関の前に一晩中人が立っている気配を感じた。

 わたしはよく発狂しなかったものだと思う。
 さらにもしかしたら自殺していたのでは・・・?とさえ思う。それほどまでにわたしの精神は錯乱していた。

 約3ヶ月後から叙叙にわたしは正常な精神状態へ戻っていった。それは人間の持つ自然な治癒能力の賜物であったのであろう。


 8

 しかしあの悪夢と恐怖にうなされ続けた3ヶ月の日々をわたしは決して忘れないであろう。それは「自動書記」とか「チャネリング」といったものの危険性を肝に銘じながら。

 素人は決してこういったことに手を染めてはいけない。手を染めてしまったら計り知れない恐怖が諸君を襲うことは間違いない。

 しかし藝術の世界は深淵である。
 もし諸君の中に「地獄を見てみたい。」という方がいるのなら自動書記なりチャネリングであり、堂々と行ってほしい。そういう手順でしか到達できない藝術的高み、そういうものが存在していることはわたしも承知している。藝術とは本来危険なものである。藝術活動を行うためだったら、そういう方法もあり、である。

 しかしゆめゆめ忘れるな!
 詩人の末路は例外なく悲惨だということを!!!

 
 9

 最後に、今後藝術活動、あるいはなんらかの創作を行ってゆく予定の若き読者諸君への餞に、この言葉を贈って本日の日記を終了させていただくことにしよう。


 「深淵を覗くものは深淵から覗き返されることを忘れてはならない。」
ニーチェ『善悪の彼岸』(ちくま学芸文庫)より引用。



(了)
 

 

(黒猫館&黒猫館館長)