わが病草紙

(講演日=2011年6月16日)

 

 

 

 腐ってゆく。
 腐ってゆく。
 剥がれてゆく。
 こぼれおちてゆく。

 わたしの身体が壊れてゆく。

 ぼろぼろと悪臭を立ち登らせながらくずおれてゆく。・・・


 T

 その本は真っ黒い表紙の漫画本であった。
 作者は自らの血糊をインクに混ぜて描くとウワサされる怪奇漫画家・日野日出志。出版社は恐怖と悪意に充ちた本ばかりを30年以上にわたって出版し続けたひばり書房。

 そしてその本の名は『蔵六の奇病』。
 その本はいつの頃からかお婆の屋敷の居間の片隅の書棚で、医学書に挟まれて置かれているのであった。
 幼少期のわたしは『蔵六の奇病』を何度も何度も読み陶然とした。わたしはできものが腐って除除に怪物へと変貌してゆく主人公・蔵六に恐怖と畏怖の念を感じていた。

 「じぶんもいつか蔵六のような病気にかかるんだ。そして少しずつ腐りながら死んでゆくんだ。」・・・
 幼少期のわたしは『蔵六の奇病』を読み返すたびに、このような想念に取り憑かれた。そしていつも深く深く絶望と後悔の念に苛まれるのであった。

 薄暗い西日差す居間の片隅で、幼少期のわたしのかぼそい手がぶるぶると震えながら、また『蔵六の奇病』に伸びてゆく。・・・


 U

 幼少期のわたしにとって外界は全くの未知の世界であった。
 自宅を一歩出ればそこに異界はあった。お婆の家の裏手にある金照寺山からはいつも首吊り自殺死体のウワサが聞こえてきた。
 近所には百石橋(ひゃっこくばし)があった。その端の下を流れる太平川からはいつも水死者が浮かんだという話が絶えなかった。

 しかし異界は家の外にだけあるのではない。
 わたしにとって最も身近な異界はじぶんの身体であった。

 わたしの祖父は物理学者であった。
 しかしなぜか祖父の本棚にある本は医学書ばかりであった。わたしは子供の分際で祖父の本棚から医学書を抜き出すと必ず「イ」の項から読み始めるのであった。

 「イ」の項・・・そこには「イレウス」という病気が気持ちの悪い図解入りで大きく掲載されている。
 「イレウス」とは腸捻転のことである。
 この病気にかかると腸が詰まって大便が出なくなる。すると必然的に腸の内容物が逆流してくる。幼少期のわたしはいつもじぶんの口から大便が噴出するさまを幻のように視ているのであった。

 後年、わたしはスプラッター作家・友成純一の怪奇小説『猟人日記』(ミリオン出版)を読んだことがある。それによると友成純一もまた幼少期にイレウスの恐怖に取り憑かれたことがあるのだそうだ。
 「イレウス」という病気には不思議に子供を恐怖させる何かがあるのかもしれない。


 V

 その当時、昼にTVをつけると必ずと言ってよいほど、放送されていた番組が「お昼のワイドショー」であった。その番組内で放送される「再現フィルム」の厭らしさといったらなかった。
 
 猟奇事件。
 死刑執行。
 そして夏は怪奇特集。

 そして「お昼のワイドショー」にはもうひとつの大きな目玉があった。
 それは闘病ものである。
 「白血病の少女」・・・これが再現フィルムに何度も何度も登場する定番のキャラクターであったのだ。
 この白血病の少女が検査のために骨髄から髄液を採取される。この描写のまるで拷問のような厭らしさといったら!
 少女が悲鳴をあげる。鬼畜な看護婦どもが少女の手足をガッチリと押さえつける。ニヤニヤと薄笑いを浮かべた医師が髄液採取用の巨大な注射器をもって少女に接近してゆく・・・

 このシーンを見てわたしは心底恐怖した。
 そして微熱が出すたびに白血病の影に恐怖した。そしてあの「お昼のワイドショー」の少女のように背骨から髄液を採取される場面を想像して恐怖のあまり絶叫した。・・・

 このわたしの白血病に対する恐怖は高校生の時まで続いた。
 高校二年生の時であったと思う。
 わたしは微熱と眩暈(めまい)と蛾粉症(視界に黒い点が見える症状)に悩まされ始めた。
 このとき、わたしの脳裏に幼少期の記憶が甦った。
 「ついにきたか!」わたしは今度こそ本当に白血病にかかったのだと思い込んで、自ら秋田赤十字病院に歩いていった。
 病院の門が地獄の門のように感じられたものだ。
 わたしを診察した医師が無表情な顔で言う。
 「血液が炎症をおこしてますね。」・・・血液が炎症を起こす!それはつまり白血球が劇的に増える、つまり白血病のことを言っているのではないか!
 わたしは確実に死を予感した。



 V

 しかしどういうわけかわたしは死ななかった。そして高校を卒業したわたしは大学へ入学した。狭いアパートの中でひとり暮らしが始まる。わたしは毎日、大学へも行かずホラー映画ばかり観ていた。
 そのホラー映画の中に『震える舌』という映画が一本混じっていた。
 この映画を観たわたしは恐怖のあまり戦慄した。
 
 なんとこの映画は「破傷風」にかかった少女の話であったのだ。「破傷風」とは法定伝染病の一種で傷口から入った破傷風菌が人体を冒す病気である。この病気は音や光に反応する。
 棚から茶碗が落ちる。その音を聞いた瞬間、少女が絶叫する。
 「ぐええぇーーーーー・・・・・」まるで悪魔の鳴き声のような絶叫をわたしは何度も何度も反芻した。
 そして次に破傷風にかかるのは自分ではないのか?・・・・と身を震わせるのであった。


 W

 この時期、大学に入って2年目ごろだったと思う。
 左側の睾丸が痛い。
 わたしはまたも恐怖した。「睾丸癌では?・・・」

 わたしはまたも神奈川県の大学病院の門をくぐった。
 医師がパンツを脱いで寝そべるように指示する。看護婦がニヤニヤ笑っている。医師が肛門から直腸へグイッ!と指を押し入れる。
 そのいやらしい感触と言ったら!・・・医師の指先の隙間から大便がはみ出てくる。医師はニヤニヤ笑いを押し殺しながらこう言った。
 「別にできものはないですねぇ・・・」
 しかしこの原因不明の睾丸の痛みは現在でも続いている。それは半年に一遍くらいの割合でわたしを襲うのだ。
 睾丸が痛くなったら、腹を押さえて我慢するしかない。
 男性諸君ならわかってくれるだろう。睾丸から下腹部へ放散するような気味の悪い痛みのことを。


 X

 それから大学を卒業して社会人になったわたしをまたも様々な症状が襲ったものだ。ある時は胸が苦しくなり心筋梗塞を疑った。またある時は眼の奥の痛みから脳腫瘍を疑った。
 そしてまたある時はカミソリの傷からエイズを疑った。

 わたしはエイズの検査を受けたことがある。
 血液を採取してから約一時間後に陰性か陽性か言い渡されるのだ。ガランとした廊下の椅子に座りながら、その一時間がまるで無間のように永く感じられるのであった。


 Y

 そして現在もわたしは病気に脅かされながら生きている。
 いずれわたしは死ぬだろう。(当然のことだ!)しかし病気でだけは死にたくない。幼少期の幻が現実のものになるのが怖いのだ。

 わたしは100歳ちょうどで老衰でぽっくり逝きたい。しかしそう上手くゆくだろうか。胃癌、大腸癌、心筋梗塞、脳梗塞、まだまだ恐ろしい病気が手薬煉してわたしも待っているような恐怖。病気でだけは死にたくない!しかし病気はやがて容赦なくわたしを襲ってくるだろう。
 その時のことを考えると思わずわたしは悲鳴をあげる。
 この歳になっても、まだ。・・・


 Z

 身体とは一番身近な異界である。
 そしてこの異界にいつ異変が起こるかは誰にもわからないのだ。

 おりしも2011年3月に東日本を大震災が襲った。
 地球もまたひとつの生物であるという説があるという。
 もしかしたら東日本大震災は地球という生き物が起こした痙攣であるのかも知れない。

 さよう、痙攣する地獄のなかで、わたしは今夜も影絵のように幼少期に視た蔵六の幻影を視る。

 腐ってゆく。
 腐ってゆく。 
 じぶんの身体が腐ってゆく。

 死が怖いのではない。
 死に至る苦痛が怖いのだ。そしてその苦痛をもたらす悪魔「病気」に恐怖する。

 もう10年したら安楽死が合法であるオランダに逃亡しよう。
 最近のわたしは本気でそんなことを考え始めている。



(了)
 
 

 (黒猫館&黒猫館館長)