バスがアンカラ郊外のアタチュルク廟で停止した。
どやどやとツアー一行がアタチュルク廟へ降りる。
わたしもおばさんたちに挟まれてバスを降りた。
広い。
とにかく広い。
東京ドームなみの広さを持つ敷地に国父アタチュルクが眠る霊廟が遠くに見える。ツアー一行は霊廟に向かって歩きだした。
ここで国父アタチュルクについて説明を加えておこう。
アタチュルクとはトルコ共和国初代大統領ムスタァ・ケマル・アタチュルク(1881年〜1931年)のことを指す。
ちなみにアタチュルクとは「偉大なる父親」の意味である。
さよう、アタチュルクはすべてのトルコ人にとっての父親であるのだ。
アタチュルクは1922年にオスマントルコを打倒、スルタンを国外に追放した。その翌年には共和制を宣言してトルコ共和国の初代大統領に就任した。
その後、アタチュルクはトルコの政教分離やアルファベットの導入など、トルコの近代化に尽力した。
ツアー一行はようやく霊廟の中へ入った。
中は極めてシンプル、アタチュルクの墓がポツンとひとつ置いてあるだけである。
しかし一見シンプルながら床石や壁のモザイク、部屋の大きさ、採光まで計算されつくしているのがわかる。まさにいるだけで快適な部屋がアタチュルクの墓のある部屋なのであった。
オキアイさんのアタチュルクに関する話で一番印象に残った話を紹介しよう。アタチュルクはひとりの子供さえ残さなかったそうである。もし自分が子供を残したらその子供がトルコ共和国の元首に祭り上げられてしまう。そうしたらトルコの共和国としての理念が危なくなる。だからアタチュルクはひとりの子供さえ作らなかったのだ。
わたしはこの話を聞いて深く感動した。
政治家というものは本来こういうものであろう。
世襲が跋扈するどこかの国の政界の連中にアタチュルクの耳の垢を煎じて飲ませたいものだ。
今日でもアタチュルクはトルコ国民から深い親愛と尊敬を受けている。尊敬すべき政治家を持つことのできた国は幸せなのだな。。。と思いつつ、わたしは再びバスに乗り込んで、次の目的地・考古学博物館へ向かった。
(上からアタチュルク廟の広大な庭
下はアタチュルク廟本体 )