始まりの優とラクス

(優・作)

 

 僕はその頃、イェール大学に在学していた。
 イェールに在籍していると言うと普通の人はみんな驚く。
 僕にはこれが本当に嫌だった。僕は普通のそしてその年頃の少年たちが例外なくそうであるような孤独な19歳の少年だったのに。

 ニューヨークの外れのオンボロアパートに住み、アパートと大学を往復する日々。
 サークルに入っていない僕には友だちもいなかった。

 そんな時だ。ラクス、君が僕の前に突如、踊り出たのは。

 あの頃、僕は大学図書館でいつも本を読んでいる君が気になっていた。
 君はいつも本を読んでいた。晴れの日も雨の日も。大学図書館の窓際で。
 ものうげな表情で本を読む君の姿が僕の中で日常的なものとなっていった。

 期末試験が近づいたある晩秋のある日、図書館はめずらしく混んでいた。
 僕は君のとなりが空いているのを見て思い切って君の隣の席に腰を下ろした。
 君が読んでいる本は宇宙の写真集だった。銀河系、アンドロメダ星雲、馬頭座星雲、そんな鮮やかなカラー写真を君はじっとみつめていた。
 「この娘(こ)は何を考えているのだろう・・・」
 僕はラスクのほうをちらちら見ながらそう思った。宇宙の写真集をじっと見ている女子学生。君は僕の出会いの時から思いっきり個性的だった。

 その時、ラクスの鉛筆が転がった。
 運命(ディステニー)。
 その時、鉛筆が転がらなければ僕の人生にはなにも起こらなかっただろう。僕はつまらない学生として、つまらない社会人となり、つまらない老人として死んでゆく、そのような運命を辿ったにちがいない。
 しかしラクス、その時転がった鉛筆が僕、いや僕らの運命を変えたんだ。

 僕は即座に鉛筆を拾ってラクスに差し出した。
 ラクスがにっこり笑う。「ありがとう・・・」

 深い憂いを含んだ声だった。僕はラクスの個性的な声に一瞬どきりとした。しかしすぐに気を取り直して思い切ってラクスに尋ねた。
 「君は宇宙が好きなの?」

 「ええ、大好き」ラクスが呟くように言う。「宇宙は本当に大きいわ。もう想像できないくらい。ちっぽけな人間なんて宇宙の前では問題にならないわ。」僕は一瞬うなずきながら、ラクスに答えた。「でもちっぽけでも人間は一生懸命生きている。」

 「そこがいいのよ。ちっぽけな人間が圧倒的に巨大な宇宙に立ち向かう。でも結局負けてしまう。それでも人間はあきらめないわ。何度でも何度でも宇宙に立ち向かう。」

 僕はその時、ラクスの言葉が理解できなかった。まるでラクスが巨大な宇宙で僕がちっぽけな人間であるかのように。ラクスの言葉の意味はもっと後で理解することができた。しかし今はまだその話は置いておこう。

 図書館の窓の外が暗くなってきた。
 ラクスは突然明るい顔になった「もうこんな時間!帰らなきゃ!寮の門限に遅れてしまうわ。」
 僕はラクスを逃がすまい、とした。一期一会の出会いで終わらせたくない。運命を僕は掴み取るんだ。
 僕はラクスに提案した。
 「今度、ニューヨーク近代美術館にあるプラネタリウムを観にいかない?・・・」

 ラクスはうつむいた。僕の心臓は早鐘を打った。僕はラクスに拒否されたくない一心で手を握り締めた。
 ラクスが顔をあげた。その顔はかすかに微笑んでいる。「ええ、行きましょう。今度の日曜日でいいかしら?」

 その時から、本当にその時から始まったんだ。僕とラクスの物語は。

 

 

(優&黒猫館&黒猫館館長)