小さなおじさん

(2009年8月28日)

 

 

 真夏である。
 真夏といえば「怪談」と相場が決まっているが、さすがに「幽霊譚」には飽きがきてしまった。
 「死んだ人間がもう一度出てくる」この話のヴァリエーションで聞くひとを恐がらせるのはもう無理があるのではないかと思う。
 それほど「幽霊譚」はもう出尽くしてしまった感がある。


 そこで「幽霊譚」ではない怪談をひとつ、といきたいがこれが意外と少ない。口裂け女とか人面犬とか手垢がついたものばかり。


 しかし最近小耳に挟んだ恐い話で新タイプのものがあった。本日はそれを紹介する。
 

 主婦が夕暮れ時、晩御飯の仕事をしている。すると後ろの居間で人の気配がするそうである。ふッ!と振り向くとテーヴルの上に身長10センチぐらいで非常に小さなおじさんが祭りに着るようなハッピを着てちょこんと座っている。
 主婦が声をかけると玄関から出ていってしまうそうである。

 この話のヴァリエーションとしてプールサイドで小さなおじさんがちょこんと座っているのを小学生が見たとか、夜道で小さなおじさんが、二、三人固まって踊っていたとか、「小さなおじさん」のウワサはじわじわ広がっているらしいのである。

 わたしは最初、この小さなおじさんとは要するに「小人」ではないのか?と思った。「小人プロレス」が興行されなくなってかなりの年月が経つ。現代の「小人」を見たことがないヒトが小人を見たショックで作り上げた「怪談」ではないのか、と思った。

 しかし小人であれば「手足が短い」だけであろう。人間を相似形で小さくした人間が「小さなおじさん」であるとすればなんとも奇妙だ。そもそもそんな人間がいるはずがない。

 また「ハッピを着ている」というトコロに妙な因縁を感じる。女性ではなく「おじさん」と限定されているのも不可解だ。色々想像すると恐い結論に辿りつきそうである。

 この「小さなおじさん」話、口裂け女や人面犬ほどの衝迫力はないがじわじわ広がっているのは確かである。
 今日も主婦や小学生が日本のどこかで小さなおじさんを見るであろう。

 わたしは絶対見たくない。
 なぜならあまりに「意味もなく恐い」から

 

(黒猫館&黒猫館館長)