癌で死んだ小川君

 

(2009年8月27日)

 

 

 人間が子供から大人へ成長する時期には、様々な精神の混乱が見られるものだ。
 この物語をわたしの20歳前後の気の迷いと捉えるのも自由だ。

 しかしわたしは青年期の出発点で遭遇したこの不可解な出来事には単に恐ろしい以上のなにかを感じる。
 
 それはあたかも大人になるための通過儀礼として体験した、ある特殊な出来事であったかのように。




 その当時、わたしは大学一年生で某私立大学の教育学科に在籍していた。無論、僻地のアパート暮らしである。そんなわたしと不思議と気の合った人物が英文科在籍の小川君(仮名)である。
 小川君は仙台出身ということで、秋田出身のわたしと不思議と気が合った。

 小川君は「尾崎豊」の大ファンであったり、久保書店から出ていた官能劇画を沢山持っていたりと、ちょっとした趣味人であった。
 小川君から尾崎豊の「シェリー」という歌の素晴らしさや、久保書店から出ていた「雨宮じゅん」の漫画の面白さを教えてもらったわたしはますます小川君と親密になっていった。

 そんなある日のこと。

 深夜、わたしは小川君とだべるため彼の自宅へ電話をかけた。しかし誰も出ない。わたしはどこかへ遊びに行ったのだろうと思い落胆してその日は早く寝た。
 思えばこの日が怪異の始まりであったのだ・・・

 次の日、さらにその次の日もわたしは小川君に電話をかけた。やはり誰も出ない。

 意を決したわたしは小川君の自宅へ歩いて行ってみた。ある初夏の日の深夜のことであった。
 自宅からてくてく歩いて小川君のアパートに到着した。
 小川君の部屋には電気がついていない。
 それでもわたしは小川君の部屋の前まで行き、ガチャリ!とドアの取っ手を回した。
 ・・・やはり鍵がかかっている。

 わたしは小川君はなんらかの事情で仙台に帰郷しているのだろうと思った。そしてしばらく小川君のことを忘れることにした。



 やがて夏休みが来る。
 わたしは秋田へ帰郷してほとんど小川君のことを忘れてしまった。

 しかし大学の長い夏休みが終わった後、再び大学の校舎に舞い戻ったわたしの耳に妙なウワサが聞こえてきた。

 「文学部の学生の中に胃癌で死んだ男子生徒がいる。。。」

 わたしはとっさに小川君のことを思い出した。しかしまさかあの明朗活発な小川君が死ぬなんて・・・わたしは混乱した。

 このウワサは文学部の生徒の間で一時期ささやかれた後、まるで潮を引くように消え去った。

 わたしは学生課に行って学生名簿を見せてもらいに行った。しかし「プライパシーの問題」で名簿は見せてもらえなかった。

 そして秋も深まった10月頃から妙なことがわたしの周りで起こりだした。大学からでてゆくマイクロバスの中に小川君らしき人影を見たのだ。そしてまたしばらくすると学食の中に入ってゆく小川君を見た。

 小川君はまるでわたしを弄ぶかのように、時々チラリと姿を見せた。しかし彼は絶対に捉まらないのだ。接近するとまるで魔法のように消えうせる。

 わたしの精神状態も尋常ではなくなってきた。
 小川君は生きているのだろうか。
 それとも癌で死んだのだろうか。

 わたしは小川君の幻影に巻き込まれるように、精神を病み始めた。
 
 晩秋の夜長、窓から小川君が覗いている気がする。・・・
 どこに行っても小川君につけられている気がする。・・・

 やがて冬が来た。
 偶然、かっての小川君のアパートの前を歩いていたわたしはギクッ!とした。小川君の部屋の明かりがついているのだ。

 わたしは決意した。
 このままでは一生、小川君に脅かされて生きるしかなくなる!ここで決着をつけなくては。
 わたしはアパートの二階へつづく金属製の階段をカンカン登っていった。そして小川君の部屋の前へ来た。

 わたしは一気にいきなりドアを開けた!

 そこには・・・



 誰も居なかった。
 ただ暗闇が部屋に充満していた。
 わたしはとっさに理解した。
 小川君はもう一度だけ自分の部屋にわたしを招きたかったのであると。
 わたしは安心した。
 そして彼もこれで安心したことであろう。

 わたしは合掌した。
 そして静かに頭を下げると小川君のアパートを後にした。

 それから小川君の影はわたしの前から姿を消した。
 小川君の記憶が薄れてゆく中でわたしは大学2年に進級して成人を迎えた。

 この少年期から青年期へ至る一時期の物語はいまでもふいに甦る。単なる単純な怪談としてではない。
 恐ろしさの中にも、なにかほろ苦い若き日のあまやかさを含めるがごとく。

 さらば、小川君。
 かけがえのないわたしの友よ。
 

 

(黒猫館&黒猫館館長)