「ベニスに死す」
そのような題名の有名な映画がある。
主人公の作曲家、グスタフ・アッシェンバッハ(マーラーがモデルと言われる)が美の化身ともいえる少年タジオの幻を観ながらコレラに罹って死んでゆく。
しかしわたしはこの映画に対して疑問であった。なぜアッシェンバッハの死場処はヴェネチアでなくてはならなかったのか。ミラノやローマではなくなぜヴェネチアなのか。・・・
※ ※ ※
わたしのヴェネチア観光もついにクライマックスともいえるゴンドラ遊覧が始まった。
わたしは関西から来た女性二人組みと共にゴンドラに乗り込む。さらに漕ぎ手の男性とカンツオーネの歌い手がゴンドラに乗り込む。
やがてゴンドラは音もなく船着場から運河に向かって動き出した。その瞬間、晴れたヴェネチアの空に鋭いカンツオーネが木霊する!
まるでゆりかごに揺られる赤ん坊のようにわたしはヴェネチアを見回した。
ゴシック様式が複雑に入り組んだその町並みは再びわたしに三島のあの一節を呼び戻した。
「どんなことをしても訪れるべき土地である。
こんな奇怪な町、独創的な町が、地上にまたあろうとは思われない。
第一にそれは退廃している。
救いようがないほど退廃している。
私はデカダンスというものの、こんなにも目にありありと映る実体を見たことがない。
(中略)
建物がまた、健全な趣味の簡素な建築ではなく、バロックまがいルネッサンスまがいの装飾過剰のものばかりだから、
こうした町の印象は、老貴婦人が、ぼろぼろのレエス、裾の腐りかけた夜会服を身にまとって、
立ったまま死んでゆくのを見るようである。・・・・」
三島由紀夫『外遊日記』(筑摩書房)内エッセイ「冬のベニス」より引用。
稀代の逆説家・三島にしてみればデカダンスとはヴェネチアに対する最上級の賛辞であっただろう。わたしもまた日本にいる時は良くわからなかったデカダンスという概念がヴェネチアのゴンドラの上でようやく肌で理解できたように思えた。
それは死への憧憬であった。
タジオはヴェネチアという街を象徴する死神であり、アッシェンバッハはタジオという死神に魅入られて命を落としたのだ。
今、ゴンドラの上で赤ワインが客に振舞われる。
カンツオーネの歌い手はさらに狂熱充ちた歌声をノドから絞り出す。
そしてあくまでゆったりとした速度でヴェネチアの街を進んでゆくゴンドラ。
それは夢であった。
少なくともわたしがいままで生涯で経験したどの出来事とも違っていた。
甘美でありながら憂愁。
清新でありながら頽廃。
いつの間にか三島の言葉「救いやうのないほどの頽廃」を肯定的に受け止めていた自分にわたしは驚嘆した。
「ベニスを見て死ね」そのような諺があるという。
また「人の生涯はふたつに分けられる。それはベニスを見る前とベニスを見た後だ。」そのような言葉もあるという。
わたしはゴンドラに揺られながら中原中也の詩の一節。
「夜、うつくしい魂は涕いて、
もう死んだっていいよう・・・といふのであった。
湿った野原の黒い土、短い草の上を
夜風は吹いて、
死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
うつくしい魂は涕くのであった。
夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
−祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった・・・・・」
(中原中也『山羊の歌』(文圃堂)より引用。)
をうっすらと思い出していた。
さよう、この愛と死が溶けがたいほど結合したヴェネチアの地ならば、わたしは今すぐに死んでも悔いはない。
死ぬのだ。
このゴンドラという揺籃に揺られながら。
そしていつの日か再生しろ。
新しい生を生きるために。
ヴェネチアに来てわたしは一度死んだのだ。
そして生まれ変わった。
新しい生が始まってゆく。・・・
「ヴェニスに死すと十指つめたく展きをり水煙りする雨の夜明けは」
塚本邦雄『日本人霊歌』(四季書房)より引用。
※ ※ ※
ハっ!とわたしは我に帰った。
そこはバスの中。
左側に陽気な運転手、マッシオさんが、右側に添乗員の吉永さんがいる。
胡蝶の夢か。・・・
わたしが今日観たヴェネチアの風景がすべて夢だったとしても悔いはない。なぜならば「新しい生を生き直す」、この決意はわたしの胸にしっかりと刻まれていたのだから。
(この章終わり。次回から新章執筆開始。)
(黒猫館&黒猫館館長)