注目すべきコレクターとの出会い

(神保町の不思議な一夜)

 

 

↑読子・リードマン↑
(アイコン制作・彩華さん)

 

 わたしは東北地区在住の一古書コレクターである。
 田舎でネットと目録のみをたよりにして古書を蒐集することは容易なことではない。また古書に関する情報の面でも都会在住のコレクターに遅れをとってしまう。それ故に三ヶ月に一度は仕事のついでに東京の古書店を巡って、古書を漁り、また古書についての情報を蒐集する。

 12月も終わりのある寒い日であった。仕事を終えたわたしはその足で神保町に向かった。無論、古書を物色するためである。その日の夕暮れ時、JRお茶の水駅から降りたわたしはまずまっすぐに東京堂書店に足を向けた。東京堂では新刊書のサイン本が数多く置かれている。このサイン本がわたしの目的であった。
 東京堂に入ると急激な暖房の効果でわたしの眼鏡が曇った。曇った眼鏡を拭きながらサイン本コーナーに向かうわたし。さすがに店内は師走の末ということで混雑している。人ごみの群れをかき分けてサイン本コーナーにようやくたどり着いた。

 「車谷長吉」。
 この作家は「最後の私小説作家」として古書マニヤの間でも人気が高い。わたしはまずこの「車谷長吉」のサイン本『もの狂ほしけれ』(平凡社)を一冊手に取った。さらにその横では現代歌人の中でも人気の高い「穂村弘」の『いじわるな天使』(大和書房)のサイン本が置いてある。わたしはすかさずこの本も手に取った。

 ふと、その時だった。わたしの視線が凍りついた。「穂村弘」の隣に「あってはならない本」が「あった」のだ。しかし古書の世界では往々にして「信じられない不思議な出来事」が起こるものだ。古書蒐集歴20年のこのわたしは過去に何度も「古書にまつわる不思議な出来事」を体験してきた。その出来事が今まさにまたも起こったのだ。

 「菫川ねねね」。

 この作家の名前を知っている古書コレクターがどれほどいるだろうか。恐らくそれほど多くはないだろう。なぜならこの「菫川ねねね」という作家は「集英社スーパーダッシュ文庫」から出版されているライトノベル『R.O.D』及びその原作小説をテレビアニメ化した「R.O.D -THE TV-」に登場する「架空の小説家」であるからだ。・・・

 わたしは震える手で「菫川ねねね」の本を手に取ると中身を確認する。中身は真っ当な小説のようである。さらに初版第一刷。これは恐らく集英社が思いついた「遊び」であるのだろうとわたしは思った。無名のゴーストライターに架空の作家の小説を書かせる・・・全く考えられない出来事ではない。そういうこともあるのだろう。わたしは車谷長吉と穂村弘とこの「菫川ねねね」の三冊の本を手に取ってレジに向かおうとした。その時・・・。

 「ドン!」

 とある人物にわたしはぶつかった。
 「アッ!スミマセン・・・」ととっさに声を出しわたしは相手の顔を見た。わたしはゴクリとツバを飲み込んだ。女だ。しかも男ものの眼鏡。ネグセのついた頭。そして野暮ったいコート。つまりそのにいるのはライトノベル『R.O.D』の主人公、

 「読子・リードマン」であったのだ。

 わたしは現実の世界から異次元の世界へ迷いこんだのだろうか。「菫川ねねねの本」。これは百歩譲って存在しても良い。しかし現実の読子と出会うことなど!あってはならない。これは絶対に、あってはならないことだ!!わたしの頭脳が狂気に向かって走り出した。
 その時、読子が言った。

 「あッ!あなたも先生のファンなんですか〜。」

 わたしの混乱とは裏腹に読子があの猫撫で声で言った。

 「ええ、まあ、、その・・・」
 わたしは読子に対してどう答えたら良いのか解らずしどろもどろで答えた。読子はなおも続ける。「先生、めずらしくこの神保町に来てらっしゃるんですよー。よかったら一緒にサインもらいに行きませんか〜?」

 読子の問いかけにウンウンとうなずいているわたし。これは夢なのだろうか。それともわたしの友人たちが巧妙に知り合いの女の子に読子のコスプレをさせて、わたしをからかっているのだろうか。後者の確率が非常に高い!とわたしは混乱した頭で考えながら、とりあえずさっきの三冊の本の会計を済ませると読子と共に東京堂を出た。

 読子はチラチラと上目遣いでわたしに問う。
 「あッ!あなたのお名前は!?」
 「黒猫、言います。・・・」こんな怪しげな女に、本名を教えるのはさすがにまずいと思ったわたしはとっさにネット上のハンドルネームを読子に教えた。
 「黒猫、さん・・・変わった名前ですね〜。」

 読子が先頭に立ってわたしがその後を追う。夕暮れの神保町靖国通りでは早くも古書店がシャッターを閉め始めていた。現実の神保町と架空のキャラクターである筈の読子が重なる。これは非常にシュールな風景であった。わたしはおそるおそる読子に問うてみる。

 「あの、、、あなたは読子・リードマンさんなんですか?」

 「そうですけど!なにか・・・?」

 読子は全く当然という風情で答える。そこには一片の隠し事も含まれていないようにみえる。しかしわたしは頑としてこの読子が「単なるコスプレ少女」であると自分に言い聞かせていた。なぜなら、そうしないと、わたしの理性が崩壊しそうだったからである。

 やがて読子とわたしは神保町古書センタービルに到着した。読子は全く当然といった顔でスルリとエレベーターに入ると即座に眼に見えないほどの速度でエレベーターの操作板を弾いた。ゆるゆるとわたしの背後で閉まるエレベーターの出口。その時信じられないとこが起こった。なんとエレベーターが「下」へ降下し始めたのだ。神保町古書センタービルに「地下」が存在しているなどという話は聴いたことがない。しかしねねねの本、読子の出現に加えて「あってはならないこと」が連続して起こっているのだ。わたしは軽い眩暈に襲われてエレベーターの壁に凭れかかった。

 やがて異次元への扉が開かれるようにエレベーターの扉が開く。案の上、そこはあのテレビ版アニメに登場した読子の隠れ家である「トト・ブックス」という古書店であった。
 読子はヒラリと「トト・ブックス」に躍り出た。わたしも読子に続く。

 「ここ、頼んでわたしの蔵書置いてもらってるんですぅ・・・」読子がまたもあのキャット・ボイスで甘えるように呟く。わたしは「読子の蔵書」とやらを一瞥するやいなや背筋に冷たいものが走るのを感じた。バタイユの『死者』(湯川書房)だ。しかも25部本。この本は生田耕作の翻訳書の中でも最も入手が難しいとされている。
 さらにその横にはサバト館初期の稀こう本、マンディアルグ『満潮』の函入特装本や山本六三のエッチング入『眼球譚』など驚嘆の書物が並ぶ。この三冊だけでも軽く古書価100万円は軽く超えるだろう。

 「幻想文学凋落の時代・・・なんて言われてますけど、やっぱり良い本は良いですよねッ!」と読子が呟く。わたしは読子のような小娘がこんな稀こう本を三冊も持っていることに驚き、呆れ、言葉が出なかった。

 「えっと、黒猫さんはどんな本を蒐集なさってるんですかっ!?」読子の問いかけにわたしがしどろもどろになりながら答える。

 「ええと、詩集です。戦後詩です。はい。」

 「戦後詩ならそっちですよっ!」と読子がさらに「トト・ブックス」の奥へ足を進める。そのあとをのそのそとついてゆくわたし。
 「はいっ!ここです!!」読子の掛け声と共にわたしは卒倒しそうになった。そこには戦後詩集のすべての主要詩集が網羅されていたからだ。なんと戦後詩集の中では最も入手が難しいとされている高橋睦郎『ミノ・あたしの雄牛』(私家版)や鈴木志郎康『新生都市』(新芸術社)までエリを正して置かれている。

 わたしはだんだんこの怪しげな女が本物の読子・リードマンではないのか?という疑惑に捉われ始めた。悪戯でここまでのことはできるわけがない。いや、そもそもできはしない!現役の古書コレクターとしての直観が読子・リードマンが「本物」であることを悟っていた。すなわちコレクターとしても。

 「あの・・・で、読子さんが凄いコレクターであることは認めます。はい。で読子さんのご専門のコレクションはなんなんですか?」わたしは先ほどから訊きたがっていた質問を読子にぶつけてみた。

 読子がまるで訊かれることを待ってました!とばかりに答える。「はい!わたしの一番好きな本はこの本です!!」
 と読子が書棚の一角を呼び指した。そこには。

 倉田英之『R.O.D』(集英社スーパーダッシュ文庫)が鎮座している。
 わたしはガクッと全身から力が抜けてゆくのを感じた。

 「あの、黒猫さん、、、どうしたんですか・・・?」読子が本当に心配そうな顔で訊ねる。わたしはポケットからハンカチを取り出すと汗を拭きながら読子に言葉を返した。

 「読子さん、あなたは超一流のコレクターです。それはわたしも認めます。そんなあなたがラノベの文庫本が一番好きだなんて本当にそれでいいんですか?」・・・

 一瞬の沈黙があった。読子はその沈黙の後、とっさにわたしに言葉を返した。「黒猫さんッ!あなた間違ってます!!本に貴賎はありませんッ!本ならどんな本でも平等なんです!!この世にあるすべての本を平等にわたしは愛していますッ!」
 わたしは思わず読子に平手打ちを喰らわされたような衝撃を覚えた。この女、コレクターとしてだけではなく「人間」としても超一流だ。・・・

 わたしは読子に完全に「負け」を宣告されたような気がして思わず壁に凭(もた)れた。そのままズルズルとくず折れるわたし。
 「あッ!黒猫さん、しっかりしてください!」読子の声が大きく響いた。それでもわたしには立ち上がる気力がない。「読子さん、あんたには負けたよ。コレクターとしても「人間」としてもね」・・・
 この二十年間わたしはひたすらに稀こう本だけを追い求めてきた。そんなわたしの頑固なコレクターとしてのポリシーがこんなにも簡単に崩れ去るとは。わたしのこの二十年はいったい何だったのだ?・・・

 その時、「トト・ブックス」の一番奥から声が響いた。
 「おーい!先生!!宴会始まっちまうぜ!!」その声は紛れも無いテレビアニメでお馴染みの「菫川ねねね」の声だ。
 「はいッ!今行きます!!先生!!」読子がねねねに答える。そして読子はわたしの前でしゃがんで小さく呟いた。「黒猫さん、わたしたちと一緒にクリスマスパーティやりましょ?そうすれば元気も出ますっ!!」
 
 そのまま読子に肩を抱えられてわたしは「トト・ブックス」の一番奥の畳の敷いてある一角に到着した。そこには案の上、ねねねだけではなく、あの三姉妹、ミシェール・マギー・アニタの姿もあった。ねねねがあのオヤジ声で檄を飛ばす。
 「よーし!今夜は俺のおごりだ!全員パーーーーッ!といこうぜ!!」

 パンパンパン!とクラッカーの音が鳴る。歓談。笑い声。古書談義。すべてが夢であるかのような空間の中でわたしの意識は薄れていった。





                    ※                             ※





 「ちょっとお客さん!困りますよ!起きてくださいよッ!!」年配のオヤジのダミ声に揺すられてわたしは目覚めた。そこは神保町古書センタービルの一階古書店前であった。時間は朝9時。道行く人々が怪訝そうな眼でわたしを観ている。

 「やっぱり夢だったか。」

 とわたしは答えるとわたしは古書店のオヤジに礼を言うとふらふらと御茶ノ水駅に向かって歩きだした。まだ夢の続きにいるようなぼんやりとした感触を味わいながら、わたしは御茶ノ水駅から東京駅へ向かい、そこから東北新幹線に乗って故郷へ向かった。

 東京、大宮、仙台、と順々に駅を通り過ぎてゆく。
 わたしは一瞬なにか暇つぶしに読むものはないかとカバンをの中身を探った。三冊の本がある。車谷長吉、穂村弘、そしてわたしは「もしや!?」と思った。すると三冊目は案の定「菫川ねねね」の本であった。わたしはすべてを悟った。あの神保町の一夜の夜はやはり夢では無かったのであると。そのことを保証するようにわたしはねねねの本を開いた。若い女流作家にしては達筆な字でねねねのサインと「2007年12月24日」の日付けがそこにあった。・・・





 故郷の駅に到着して新幹線から降りたわたしの頭上に12月の冬空が広がっていた。いつの間にか雪も降りだしたようだ。東北の冬は厳しい。これからわたしは風邪をひかないように自宅の風呂に入って暖かくして寝るとしよう。


 そして今回の東京旅行でコレクターとしてわたしは大切なことを学んだようだ。「すべての本は平等なり。」読子から教わったこの教えを胸にわたしは今後も古書コレクターを続けてゆく所存である。



 「紙はわれらと共にあり。すべてこの世はこともなし。」

 

【おぼえがき】


 こんばんは。黒猫館館長です。
 以前からなんとか「古書に関する小説」を書いてみたいと思っておりまして、今回ようやくそれが実現いたしました。
 とはいえこの小説が「R.O.D」という他人の創作物の上に成り立っている二次創作物であることは紛れもない事実であります。そのことが良いとか悪いとかの問題は別にわたしは来年こそ「完全オリジナル」な小説を書きたいと思う所存であります。
 今回の小説はそのための布石であります。
 それではみなさん、今後にご期待ください!!

 

 

 

 

(黒猫館&黒猫館館長)
(「R.O.D」という素晴らしい作品を教えてくださった親友・彩華さんへの感謝と共に。)
(2007年12月31日)