最後之御茶会

(ノワール第27話)

影姫・作



(↑霧香↑)
彩華さん制作

 

(ノワール・・・そはいにしえよりの定めの矢・・・)




 スペインとフランスの国境にある「荘園」、そこでアルテナとその一派を殺して脱走した霧香とミレイユ。ふたりは長い逃避行の末にパリにあるミレイユのアパルトマンに着いた。


 霧香に先にシャワーを浴びさせたミレイユはぼんやりと窓から月を見ていた。そういえば一年前の今頃もこんなことをしていたわね、その時はクロエも一緒だったけど・・・、そんなことを考えていると霧香がシャワールームから上がってきた。

 「どう?落ち着くでしょ?シャワーはイノチの洗濯よ?」ミレイユは沈んだ心を無理に浮かべるようにニッコリ微笑んだ。水を滴らせた霧香はまるで哀れな濡れネズミのように萎んだ表情をしていた。 「ほら、着替えて、着替えて!」。
 荘園で普段着を全て燃やされた霧香のために、ミレイユはなるべく上等な自分の洋服を与えた。もそもそとミレイユのお下がりに着替える霧香。着替える間、外を向いていたミレイユが室内に眼を転じると、そこには紅いドレスを着た少女が立っていた。
 「似合うわ!とっても。」ミレイユがわざと大袈裟な身振りで言うと、霧香の顔が微妙にほころんだように見えた。ミレイユの記憶では霧香はいつも中学生のような地味な服装を着ていた。しかし今日の霧香は違う。紅いドレスに身を包んだ霧香は外面だけではなく内面まで一歩成長したように、ミレイユには見えた。

 「さっ!座って!今夜は飛びっきり、サービスしちゃうわよ!」ミレイユが霧香をテーヴルに座らせる。霧香がポツリと言う。「・・・熱いお茶を煎れるのはわたしじゃなかった・・・?」ミレイユが霧香を黙らせる。「そんな一週間前のことなんて誰も覚えていないんだから、いいの!さあ、サービス!サービス!」
 霧香はミレイユがなぜそんなにはしゃいでいるのか、察しがついた。ミレイユは恐らく今夜で「ノワール」というユニットを解散させるつまりであると。今夜はそのための「最後のお茶会」なのであると。人間関係に疎い霧香でもすぐに察しのつく簡単な理由であった。

 やがてなみなみと盛られたコーヒーカップがふたりの前に置かれた。 
 「わたしはこっち、ブラックコーヒーね。貴方はそっち、カフェオーレね。」いつもの習慣のとおり、カフェオーレを霧香の前に差し出すミレイユ。全くこの子ったらいつまで経っても、カフェオーレの煎れ方さえよくわからないんだから・・・これから大丈夫かしら?そんなことを思いながらミレイユは席に着いた。

 「さ、乾杯ね。霧香。」ミレイユがマグカップを差し出す。霧香もおずおずとマグカップを持ってようやく乾杯が出来た。ミレイユがブラックコーヒーを飲みながらポツリと言う。
 「今夜でユニット「ノワール」は解散ね。・・・」霧香はなにも言わない。全くいつも無口なんだから・・・と半ば呆れながらミレイユは霧香を見た。ちょうど一年前、わたしはこの霧香という日本人少女と出会った。そしてその一年後、少しはお互いに分かり合えたのだろうか?・・・ミレイユの心がまた沈みだした時、霧香がボソリと言った。
 「美味しいよ。・・・ミレイユ、このカフェオーレ。。。」

 「ふふ、当然でしょ。このわたしがサービスしちゃってるんだから!」ミレイユがもう一度明るい顔を作って笑った。しかしそれでもふたりの間には「なにかが終わった」後の寂寥感が漂っていた。






 「霧香・・・わたしにはもうノワールもソルダもどうだっていいの。」ミレイユがようやく本題に入った。「わたしはね、霧香。もう殺し屋をやるつもりはないわ。平凡な女として、このパリで平凡にアルバイトをしながら暮らしていくつもり。そして霧香、貴方はやっぱり日本に帰りなさい。普通に結婚して普通に子供作って生きていくのよ。それが貴方にとっての最良の道だと思うの。わかる?霧香。」

 霧香は相変わらずなにも言わない。時計の音だけがカチカチと部屋に響いている。一分、五分、十分、いや三十分は過ぎたであろうか。霧香が口を開いた。

 「ミレイユ・・・でもわたしの手は血で汚れている・・・こんな手で赤ちゃんを抱くことなんてとても出来ない。」霧香はナミダを流さなかった。しかし凍りつくような冷たい双眼が霧香の悲しみの深さを物語っていた。

 「霧香・・・」ミレイユが口を開いた。しかし言葉が続かない。沈黙が再びふたりを襲う。まるで深い闇の中に居るような気分を味わいながら、ミレイユが口を開く。
 「人は闇の中にいるからこそ、光を求めるって、先週、わたしは貴方に言ったわね。その言葉の意味をよく思い出して。霧香。貴方は人を殺してきたわ。なら今度は生みなさい。新しい人間を。それが貴方の罪滅ぼしになるわ。」

 アパルトマンの窓から月光が差し込む。ミレイユの言葉の後、沈黙がさらに深くなった。ミレイユは願った。「お願い!霧香、ココロを開いて・・・そうでなければ貴方は絶対にシアワセになれないわ・・・!」

 霧香がゆっくりうつむいた。するといつの間にか霧香はナミダを流していた。それはあたかも冷たい氷が解けてゆくようだとミレイユには思われた。ボトボトと大粒のナミダがテーヴルにこぼれる。いつしかミレイユは霧香に寄り添っていた。

 「いいのよ。そのまま泣いていて。貴方の心が氷解したのよ。霧香、もう大丈夫、大丈夫だからね。貴方は日本で立派にやっていけるわ。」霧香がまるで赤ん坊のように大声で泣き出した。それは霧香自身が大きな赤ん坊として、この世に生まれでた瞬間のようであった。ミレイユはしっかりと霧香をキツク抱きしめると小さく呟いた。「泣いてね。思いっきり・・・そして泣き止んだら話ましょう。今夜は徹夜で語り明かしましょうね。」

 霧香はまだ泣いている。しかしミレイユはようやく確信した。自分と霧香の間にあった厚い壁が今まさに音を立てて崩壊したことを。文字通りの一生の親友を得た気持ちでミレイユはさらに霧香をギュッ!と抱きしめた。







                ※                      ※








 翌朝。
 ミレイユが目覚めた時、すでに霧香の姿は無かった。ただ一枚の紙切れがテーヴルに残されていた。ミレイユは立ち上がると、テーヴルに向かって紙切れを見た。

 「ありがとう、そしてもう一度。今度こそ本当にわたしがお茶を煎れるから。」



 今は初夏の朝七時。七月の強くなり始めた陽射しがミレイユのアパルトマンに差し込み初めていた。         

 

 

 

 

影姫&黒猫館&黒猫館館長