出会い 

優と出会った、あの夜

(影姫・作)

 

 

 

 ニューヨークの夜の闇は深い。

 いくら煌々とイルミネーションが輝いても人の心の闇まで照らすことはできない。都市に住む者たちはそれぞれの心の闇をかかえながら、さらに人が密集するエリアに集う。お互いの傷を舐めあうために。この猥雑と混乱が渦巻く「世界一の都市」の真ん中で。

 1992年。
 ロスアンジェルスから始まったわたしのアメリカ横断旅行の最後の夜だった。わたしはニューヨーク・マンハッタン島の中心部に宿をかまえ、大旅行最後の夜を悔いなく楽しむべく、夜の大都市に飛び出した。
 イルミネーションがどぎついほど舞う。道路の端で抱き合って動かないカップル。道端に立っている少年売春婦。麻薬の密売人と思われる男たちが通行人に声をかけている。そんな白人・黒人・黄色人種、すべての種類の人間が行き交う七番街の大通りをわたしは北へ向かって歩きだした。行く場所は決まっている。わたしのような性癖を持つ者が大都市の夜に向かう場所、それは一般的には「特殊風俗店」、通称「ハードゲイ・クラブ」と呼ばれる場所であった。

 その店はすぐに発見できた。巨大雑居ビルの地上11階、店名は「デッドハウス(死の家)」。おどろおどろしい店の名前とは裏腹にこの店はニューヨークのハードゲイ・クラブでも屈指の名門であり、まるで阿片窟のようなスラムにあるクラブとは一線を画していると評判であるらしい。噂によると、「デッドハウス」には人に言えない性癖を持つ世界中の金持ちたちが集うサロンであるという。無論、わたしもそういう人種の一員としてこの「デッドハウス」を訪れたのである。

 密室のような狭いエレベーターのドアが11階で音もなく開く。

 わたしは「デッドハウス」への第一歩を踏み出した。
 そこはまるで「小さな劇場兼バー」という風情の小奇麗な店内であった。照明もそれほど暗くはない。予想していたほどおどろおどろしい雰囲気が無いことに安心したわたしは、ステージに向かって最後尾の席に座り、店員にカクテルを注文する。

 革・ラバー・ビキニ・サポーターなど奇妙な風体をした男たちがあちこちに群がっている。ハードゲイクラブではわたしのような女装者はめずらしい。周囲からの舐めるような好奇の視線に耐えながらわたしは一気にカクテルを飲み込んだ。

 しばらくして、この手のクラブにはつき物の「ショータイム」が始まる。・・鞭打ちショー、獣姦ショー、黒人男のオート・イジェキュレーション・ショー(ペニスへの物理的な刺激を用いないで意志の力だけで射精してみせる芸)、・・・お決まりのショーの数々にわたしが退屈し始めた頃、突然音楽が変わった。

 その夜のメイン・イベントである「奴隷市」がいよいよ始まったのだ。わたしはオークションに参加する予定は無かったので、相変わらずに覚めた視線でステージを見続けた。

 若い男、老けた男、痩せた男、太った男・・・首に重厚な鉄製の首輪を装着され、首輪を一列に数珠繋ぎにされたさまざまな男たちの裸体の群れが引き出されてくる。どの男も身体には隠微なボディハーネスを装着され、すべての男のペニスは激しく勃起しており、中には尖端からカウパーを滴らせている男もいた。。
 こうした人身売買が「遊び」としてこうしたクラブで行われることはよくあることだ。しかしこのデッド・ハウスで行われている「奴隷市」は「遊び」ではなかった。なんでもアメリカ南部にある専用の奴隷調教所で訓練された生粋の奴隷を調達しているという。
 と、その時わたしはある男に眼をつけた。

 いや、その奴隷はまだ「男」になりきっていない「少年」であった。わたしは眼を見張った。その少年とわたしの眼が合ったのだ。少年はまるで助けを乞うようにわたしをじっとみつめていた。

 やがて奴隷商人が大きな銅鑼を打ち鳴らす。奴隷市がいよいよ始まったのだ。威勢の良い掛け声が店内のあちこちから響く。どの客もオークションの興奮にわれをわすれているようだ。
 いや、われをわすれているのは他の客よりもわたしであったのかも知れない。わたしの頭脳の中で既視感(デジャヴュー)が渦巻いていた。この少年とはどこかで出会ったはずだ。いや出会ったのではない。わたしは彼を知っている。そう、「生まれる前から。」わたしと彼は一体だった。前世、前前世、もっと前・・・
 わたしの中でなにかが弾けた。その瞬間わたしもオークションに参加していた。

 場内から歓声が湧き上がる。なんでも元大会社の社長だったという奴隷が「一円」で落札されたというのだ。一円で落札された元社長奴隷が檻へ入れられ梱包される。場内の男たちはみなニヤニヤしながらその様子を見ていた。
 しかしわたしの目的はそんな嘲笑の的になるような無様な男の姿ではない。あの一瞬眼が会った少年奴隷・・・奴をわたしの奴隷としたい。・・・わたしの中で燃え上がるなにかがあった。

 その間にもその少年奴隷の値段はどんどん釣りあがってゆく。100万円、200万円、500万円・・・アッという間に1000万円を超えた入札価格にわたし迷わず3000万円を入れた。
 場内がざわめく。奴隷商人の顔がどぎつくほころぶ。わたしは一瞬、「勝った!」と思った。しかしそう思ったわたしは愚かであった。なんといきなり5000万円上乗せされたのだ。後で知ったことであるが、この5000万円で入札した男は世界一周旅行中のアラブ人富豪であったという。

 わたしは崖の上に立っていた。これは比喩ではない。本当に崖の上に立っているように思われたのだ。このままオークションを止めてしまいたい誘惑がわたしを絡めとる。
 しかしわたしは崖から飛び降りる道を選んだ。・・・あの少年奴隷と共に。

 「カンカンカンカンーーーーーン!!」

 銅鑼が打ち鳴らされる。場内の驚きと感嘆の入り混じった無数の眼がわたしを突き刺した。奴隷商人が叫ぶ。

 「ミストレス影姫、落札でございます!!・・・御代は一億円!」

 その瞬間鎖から解き放たれた少年奴隷がステージから駆け下りた。まるで傷つきやすい蝶をそっと指でつまむようにわたしは少年を抱きしめた。そして言った。

 「怖かっただろう。しかし安心しろ。もうおまえに怖い思いはさせない。」

 少年はそのわたしの言葉を聞くと堰を切ったように泣き出した。

 この少年との出会いが、後の「優」との出会いだったのである。

 ハード・ゲイ・クラブの夜は何事もなかったように更けてゆく。わたしは後に「優」と呼ばれることになる少年を抱きかかえるとクラブを後にした。

 

 

(影姫&黒猫館&黒猫館館長)