その 新社長就任の夜に・・・

 

(影姫・作)

 

 「あれ?アリア社長、どこ行ったんだろう。」、朝6時、灯里は朝起きたての眠い眼を擦りながら呟いた。ARIAカンパニーのどこを探してもアリア社長の姿はない。いつも朝起きたてはアリア社長のお腹を「もみもみ」するのが習慣の灯里にはアリア社長がいないとなんとなくおちつかない。
 「アリシアさん、アリア社長はどこ行ったんですかー?」と朝の通らない声で灯里はアリシアにたずねる。アリシアはいったい何時に起きているんだろう?と疑問に思うほど全く眠そうなおもかげはない。

 「あらあら・・・灯里ちゃん、社長は今日から交代したの。今日の9時に新社長がおめみえするからくれぐれも粗相のないようにね。」(ニコッ)
 アリシアが丁寧で優しい口調で言った。アリシアは口調はいつも優しいが、時々灯里にとっては「ゾッ」とする厳しいセリフを吐くことがある。今朝のこのセリフも灯里にとっては非常に応えるものがあった。

 「ほ、ほひー・・・社長代わっちゃたんですかー??」灯里が当惑してアリシアに問う。
 「そうよ。」(ニコッ)アリシアがまたもソフトな口調でさらりと困惑している灯里の質問をかわした。

 「すると、アリア社長はどこ行ったんですかー?」灯里は焦って質問を続けた。
 アリシアが答える。「そうね。猫の国に帰ったのかもしれないわね。」(ニコッ)

 「ふへー、、、もうアリア社長に会えないなんて・・・」灯里がついに涙ぐみ始めた。それを観てアリシアが灯里をフォローする。「あらあら、泣かないで、灯里ちゃん、新しい社長はとっても優しいひとだから。」「ふへー・・・新社長は人間なんですか??」「そうよ。」(ニコッ)
 新社長就任の朝だというのに全く動揺していないアリシアに灯里は当惑した。「そうだ・・・アリシアさん、さそり座なんだ。だから平気なんだ。」灯里はむりやり星座を引き合いに出して、アリシアに対する不信感を無理やり自分に納得させようと試みた。



 朝食が終わる。朝食はいつもアリシアが作る。灯里は料理が苦手なのだ。あっさりした味のタマゴと野菜のサラダであった。こういうものをさらりと作るアリシアの腕前には灯里はいつもかなわない。

 「オウッ!新社長の阿久津や!」

 突然のダミ声に灯里はビクッとした。「ほ・・・ほひー」・・・どんどん階段を駆け上がってくる音がする。
するといきなり中年の険しい顔のオヤジや現れた。
 「ここがARIAカンパニーか。えらいさびれとるやんけ?え!アリシア!」さらにダミ声はガンガン響く。灯里がおそるおそるこの「阿久津」というオヤジを見る。茶色い背広、よれよれのズボン、・・・顔をみると深いシワが何本も刻まれている。四十代だろうか・・・?あるいは五十代・・・薄くなり始めた頭髪はキッチリ七・三にポマードで撫で付けられている。口の回りには剃り残した無精ひげ、御丁寧にも鼻毛がひょいと鼻から飛び出している。そして腕にはなぜかジャラジャラと金のブレスレット。まるで『なにわ金融道』というマンホームの古典漫画に登場する街金のオヤジだ・・・「阿久津」という名前もピッタリとその風体にフィットしている。灯里は唖然としながら思った。
 阿久津と名乗るオヤジはドン!と事務所の真ん中の椅子に座った。そしていきなりタバコをふかし始める。灯里はなおも唖然としていた。このネオ・ヴェネツィアではほとんど見ないというか、はっきり言えば場違いなオヤジの出現に灯里は頭が混乱していた。

 「さて、始めるか。」阿久津はギラリと灯里をにらむとボソリと呟いた。
 「改めて挨拶する。今度、株主総会で新社長に任命された阿久津や。」
 「ふ・・・ふへー・・・ARIAカンパニーって株式会社だったんですか・・・?アリシアさん。」灯里が小声でアリシアに話かける。その時、阿久津の檄が飛んだ。
 「そこの小娘!うるせえぞ!!」
 「は・・・はいぃぃ・・・」と灯里が萎む。阿久津はなおも話を進める。「ARIAカンパニーの最近の業績不振は年々眼にみえて悪化している。そこでARIAカンパニーを立て直す、つまり当世風の言葉でいえば「ARIAカンパニーの構造改革」を推進するためにわしが社長に選出されたんや。アリシア、小娘、これからは厳しいぞ。覚悟せえよ。・・・」
 灯里がこっそりとアリシアを見る。アリシアは阿久津の厳しい言葉にも全くたじろがずなぜかいつもとかわらずニコニコしている。
 阿久津は言葉を続ける。「わしがまず第一にやろうとしていることは、ウンディーネの客へのサービスの徹底や。ゴンドラには小型冷蔵庫を置き、酒とおつまみを常備して、お客の注文が入ったら即座にお酌すること!」
 「ほひー・・・お酌・・・ホステスぢゃあるまいし・・・」灯里が心の中で呟いた。
 「次にお客の御要望があれば肩もみ、マッサージもしろ。そのためにわしがこの『タイ古式マッサージ』という本を持ってきた。各自これを読んでマッサージの仕方をキッチリ勉強せい!」
 「さらに小型カラオケ機械をゴンドラに設置して、お客のご要望があれば即歌うようにしろ。そこの小娘!ためしに「津軽海峡冬景色」歌ってみ!」
 灯里がしどろもどろになりながら歌い始める。「・・・・う、、、上野発の夜行列車、、、降りた時から・・・青森駅は雪の・・・」灯里はそこで言葉がつまってしまった。「あらあら、灯里ちゃん、いいのよ。わたしが代わりに歌うから。」とアリシアが超美声で朗々と「津軽海峡冬景色」を歌い上げた。これで阿久津の機嫌は少し良くなったようだ。
 「うむ・・・さすが水の三大妖精と呼ばれるアリシアや。・・・それに比べてそこの小娘!トロくさくやっとったらリストラやぞ!」

 「ほ・・・・ほへーーーーー・・・・」
 ため息とも泣き声ともつかない灯里の声がARIAカンパニーにこだました。

 その日はARIAカンパニー新体制の発足ということで、阿久津とアリシアは今後の打ち合わせ、灯里はゴンドラで外回りを命じられた。もちろんゴンドラの先端には棒が立てられ、その先に「料金表」がぶら下げられた。

 「・ビール中瓶600円。
  ・ビール缶340円。
  ・ジュース120円。
  ・マッサージ30分3400円。
  ・肩もみ15分1800円。
  ・カラオケ一曲300円で歌います。」

 もっともこの料金表は暫定的なもので今後もっと細かいサービスを徹底するとのことだそうだ。

 ネオ・ヴェネチアでは灯里のようなシングルが一人で営業することは観光協会によって禁止されている。しかし阿久津の考えは違っていた。シングルだろうが見習いだろうが「戦力」になりそうなヤツは即、営業に参加させる。阿久津はそのような徹底した「実力主義」を取り入れようとしているらしい。これが観光協会に知れたら、ARIAカンパニーは協会から外される。それでもお構いなしに「儲かることならなんでもやる」のが阿久津の主義であった。

 その日は小型冷蔵庫とカラオケ機器が間に合わないので灯里はお客の肩もみをやらされることになった。首から首の付け根、さらに肩、上腕部まで丁寧に揉み解す。だんだん灯里のほうが逆に肩こりしてきた。そんなつらい肩もみ作業をやってる時にお客の肩がみな固くこわばっていることに灯里はきずいた。
 「みんな疲れてるんだ。・・・」

 そんなことをぼーーーと考えているうちに日が暮れてその日の営業は終了した。


 ゴンドラをARIAカンパニーのゴンドラ置き場に立てかけると、灯里はアリシアのいる居間に急いだ。居間ではアリシアがいつもと変わらずニコニコしている。その笑顔を見ると灯里はなぜか双眼に涙が充満してくるのを感じた。
 「あらあら・・・灯里ちゃん、今日のお仕事辛かったのね。でも泣かないで。お風呂わかして、お夕飯も用意しておいたから。」アリシアの優しい言葉についに感極まった灯里は突然にワッ!と泣き出した。アリシアの胸にしがみつき、なきじゃくる灯里。
 そのままARIAカンパニーの夜は更けてゆく。なぜか阿久津の姿は見えなかった。





 灯里は闇の中でポッカリと目覚めた。時計を見ると午前3時である。灯里はお腹が減ったので3階の屋根裏部屋から2階の居間へ降りた。闇のなかで冷蔵庫を探す灯里。と気がつくと隣室から光が漏れている。阿久津社長の部屋だ。。。そう思うと灯里はそおっとドアの隙間から社長室を覗きこんだ。

 阿久津が椅子に座って机にうつぶせている・・・どうやら酔っ払っているようだ。ウイスキーの瓶が近くに転がっている。灯里がドアから離れようとすると阿久津の野太い声が響いた。

 「灯里・・・とかいったな。ちょっとこっちへ来い・・・。」

 灯里はおそるおそるドアを開けると、阿久津の机の横に立った。

 「おうおう・・・カワイイお嬢さんぢゃあねえか。まるでわしの娘にそっくりよ。」灯里がおそるおそる口を開いた。
 「あの・・・阿久津社長にも娘さんがいらっしゃるんですか・・・?」
 「昔はいたさ」阿久津はなげやりな口調で言った。でも持っていかれちまったよ。わしが前の会社をリストラされた時、女房が子供連れて逃げてしまったわい。」
 「そんな・・・」灯里は阿久津の突然の告白に当惑しながら、阿久津の身の上話に耳を傾けた。
 「リストラされて職がない男には子供を持つ資格もないのかねえ・・・くっくッく。」阿久津が自虐的な笑みをこぼす。「だからよ、わしはそれからむしゃらに働いた。逃げた女房を見返してやりたくてな。それでやっとARIAカンパニーの社長まで登りつめた。わしがおまえらにつらく当たるのはわしみたいな思いをおまえらにしてもらいたくないからよ。・・・灯里、とにかくがむしゃらに働け。そしてプリマになれ。わしはおまえを応援しているぜ。」
 阿久津の初めてみせる優しさに当惑した。(このヒトも昔深く傷ついたヒトなんだ・・・)灯里はなんだか阿久津がかわいそうになってきた。また灯里の双眼に涙が溜まってきた。

 「灯里、明日も早いぞ。早く寝ろ。だが覚えておけよ。おまえらウンディーネの仕事は日常生活のごたごたで疲れた客や傷ついた客を水の上で癒すことだってことをな。」阿久津はそれだけ言うとまた机にうつぶした。灯里は阿久津が再び眠りに落ちたのを見届けてから、床に落ちた背広を阿久津の肩にかけた。そして電気を消すと、もう一度屋根裏部屋に登っていった。






 「ふにゅふにゅふにゅーーーん!!」

 朝の陽光に包まれて灯里は目覚めた。今は秋十月、丸い窓からは雲ひとつない快晴が見える。今の奇声はなんだったのか、とベットの横を見るとなんとアリア社長がちょこんとすわっている。灯里が目覚めたのを感じたアリア社長はすかさず灯里の胸に抱きついた。
 「ちょっとアリア社長、重いですぅ・・・」アリア社長が突然戻ってきたことに当惑する灯里。
 灯里はアリア社長をだっこしながら3階の屋根裏部屋から2階の居間に降りた。居間ではいつものとおりアリシアが朝食の用意をしている。阿久津の姿はない。
 「アリシアさん、阿久津社長、どこにいるんですかー?」眠そうな声で灯里が尋ねるとアリシアがニッコリ笑って答えた。
 「うふふ・・・灯里ちゃん、阿久津社長ってだーれ?」

 「ほ・・・ほえー・・・」灯里は唖然として聞き返した。「アリシアさん、昨日の記憶ないんですかー。」さらにアリシアが答える。「昨日は特別変わったことはなかったけど。」
 「ふ・・・ふへー、すると夢??」唖然としている灯里をみながらアリシアはなにか意味ありげにニコニコしている。
 「うふふ・・・灯里ちゃん、もしかしたら仕事に疲れたヒトが癒してほしいってわたしたちの前に現れたのかもね。」・・・灯里はポカンとしていた。アリシアさんはなにか昨日のことについて知っている。でも話してくれない。なぜだろう。・・・しかし今はそのことより灯里の胸に深くこみ上げてくる思いがあった。灯里は思わず呟いていた。

 「そうか、、、そうだもんね。わたしたちウンディーネの仕事は疲れた人や傷ついた人の心を癒してあげることだもんね。・・・アリシアさん。」


 「恥ずかしいセリフ禁止!」
 「でっかい妄想ですぅ。」

 なんといつの間にか現れた藍華とアリスが後ろから灯里に突っ込みを入れた。灯里がまたもうめく。

 「ふ・・・ふへーーーー・・・・」

 「さあさあ、朝食にしましょうか。藍華さんとアリスちゃんも一緒にどう?」
 アリシアの申し出に従って席につく藍華とアリス。

 灯里はいまだにぼおーーー、としていた。

 「さよなら、阿久津社長、わたし立派なプリマになるから。プリマになったらまたもう一度ARIAカンパニーに現れてね。」

 10月の陽光が窓から降り注ぐなか、アリシアと灯里と藍華とアリスの四人の朝食が始まっていた。ARIAカンパニーに日常が戻ってきたのをしっかりと確認すると、灯里は自分がウンディーネのプリマへとまた一歩成長したことをしっかりと実感した。

 

 

 

(2006年10月3日)
黒猫館&黒猫館館長