哀愁のホーク姉妹

(ハムちゃま・作)

  

(↑ルナマリア(下)とメイリン(上)↑)

 

 「ただ、、、いま・・・」
 ルナマリアの力の無い声が薄暗い四畳半のアパートの一室にこだました。トイレも風呂もないみすぼらしいアパートの一室。裸電球がブランと悲しげにぶら下っている。一ヶ月の家賃が一万五千円の東京都杉並区高円寺のおんぼろアパート。そこが大戦終結後のホーク姉妹の新しいねぐらなのであった。




 第二次コズミック・イラ大戦の終結後、デュランダル議長の独裁体制の崩壊と共にZAFT軍兵士の大幅リストラが決行された。その指揮を執ったのはプラントの歌姫と謳われるラクス・クラインである。ラクスは旧ZAFT軍を解体し、旧クライン派を中心とする新ZAFT軍を結成した。その際に旧クライン派に対立的な態度をとっていたミネルヴァのクルーは「グラディス艦長の死亡」という名目ですべて除名された。旧ミネルヴァ・クルーの多くはプラントから入国を拒否され、地球へと下った。旧ZAFT軍兵士の受け入れに難渋の意を示していた地球各国の中でもオーブだけはキラ・ヤマト中将の「慈善的政策」によって入国を許可されることになる。しかしミネルヴァ・クルーにとっての本当の苦難はこれから始まるということをクルーたちはまだ知らなかった。



 「お姉ちゃん、また駄目だったの?」メイリンがうつむいた姿勢で呟いた。「はは・・・メイリン、、、大丈夫だって!また明日、今度は居酒屋のアルバイトの面接に行く予定だから!」
 ルナマリアはアルバイトを探していた。姉妹二人でしっかりと喰っていける着実なアルバイト。オーブの物価は高い。しかしルナマリアは誓っていた。オーブで姉妹二人でしっかり暮らしてゆくこと。この国から出たらもうわたしたち姉妹に生きる場所はない、と。

 最初のアルバイトは高円寺の場末の喫茶店だった。しかし緊張のあまり客の面前でコーヒーをこぼしてしまったルナマリアは一日でクビになった。次のアルバイトは荻窪にある大きなブックオフだった。しかし書物に縁のないルナマリアには書物の買い取り値・値段付けがいくら努力してもほとんどわからない。ルナマリアが客の持ってきた書物に値段を付けた時、怒った客が叫んだ。「安すぎるよ!店長出て来い!!」あわてて走ってきた店長は、何度も何度も客に頭を下げる。そして自分で値段付けをすると、冷ややかな目つきでルナマリアに言い放った。

 「あなた、もう明日から来なくていいから。」

 帰りの中央線上りのガラガラの電車の中でルナマリアはポカンとしていた。
 「わたしに出来る仕事っていったい何があるの?・・・」そんな考え事をしながらの二度目のクビになった日の悲しい帰宅だった。

 ルナマリアはごそごそと戸棚から食パンを出した。あと残り一枚しかない。どうしよう?メイリンと半分コにしようか。。。ルナマリアは無理に明るい声を出すとメイリンに言った。「食事!食事!お腹が減ってはイクサはできないぞー。」時間は夜9時。ホーク姉妹の遅い夕食が始まろうとしていた。
 ちゃぶ台に新聞紙を広げると一枚の食パンと紙コップを二つを置く。当然紙コップの中は水道水だ。ルナマリアは考え直していた。やっぱり妹に苦労はかけたくない。
 「メイリン。あんた、パンの白いトコ食べなさい。お姉ちゃんはパンの耳でいいから。」・・・そしてパンの耳を食べ始めたルナマリアはメイリンが泣いているのに気がついた。メイリンは姉にパンの耳を食べさせて、自分はのうのうとパンの白い所を食べるしか能のない自分の無力さかげんに対して涙を流しているのだ。そのようにルナマリアは直感的に把握した。
 「メイリンったら!なにめそめそしてんのよ!早くお食べよ!食べ終わったらお姉ちゃんと一緒に散歩行こ!」ここでわたしも一緒に泣きくずれたらすべてが終わりだ。ルナマリアは鋭い緊張を感じながら、明るい声をだした。紙コップの水道水がやけに苦く感じられた。


 ルナマリアは身をこごめるとちゃぶ台の下にあるおかし入れの箱から、一ヶ月前に買ったザクの食玩をとりだした。正確には「MS−06」で通常「ザクU」と呼ばれている機体の食玩である。ルナマリアが過去に乗っていた「ザウォーリア」ではない。しかしザクウォーリアの食玩が発売されていないので、ルナマリアはザクUの食玩で我慢するしかなかったのだ。ルナマリアはあやうく転げそうになるプラスチック製のザクUをちゃぶ台の上にちょこんと置いた。
 「半年前まではわたしもザクに乗ってたのよね。」ポツリとルナマリアが呟く。メイリンはまるで聞いていないかのように部屋の隅で膝を抱えている。「そういえば、シンったらどうなったのかなー。」
 ルナマリアとシンはあのメサイア攻防戦で奇跡的に生還した戦友同士である。終戦直後はその友情が恋愛感情に発展しそうな時期もあったのだ。しかしシンからの連絡はオーブに入国してからプッツリと途絶えた。風の噂によるとシンは「大日本印刷株式会社」の倉庫でベルトコンベアーの仕分け作業をしているのだという。シンもまた喰ってゆくために必死で恋愛どころではないのだ。ルナマリアはシンの境遇に共感しつつも結局恋愛まで発展できなかった関係に悔いを残していた。
 「そろそろ散歩行こうか?メイリン。散歩から帰ってきたら寝よ。」ルナマリアはメイリンを誘うとアパートから深夜の高円寺の街へと一緒に繰り出した。ある重要な告白をメイリンにするために。


 高円寺には小さな公園が沢山ある。その小さな公園のひとつにルナマリアとメイリンは入り込んで半分壊れかけたブランコに腰を下ろした。ルナマリアとメイリンはどちらも無言だった。刻々と時間だけが流れてゆく。公園の前の道路の人通りも段々少なくなってきた。ルナマリアが会話の堰を切った。

 「あのね・・・メイリン。お姉ちゃんね、、、」駄目だ。やっぱり妹にこんなことは言えない。ルナマリアの理性が告白に歯止めをかけた。いや、なによりメイリンは16歳、まだ子供だ。子供にこんなことを喋ったら今後のメイリンの成長に悪影響を及ぼしかねない。しかしルナマリアは黙っていることは出来なかった。妹にこのことを秘密にしておけるほど自分は強くない。・・・

 「お姉ちゃんね、、、今のアルバイトじゃ満足にメイリンに食べさせてもあげられないからね、、、仕事変えようと思うんだ。ううん、居酒屋じゃなくて、、あの、、、今度は、どんな仕事かというと、、、男の人にサービスするというか、今までよりずっと給料もいいし、楽な仕事で、、、」

 「バシッ!」

 その瞬間、ルナマリアの頬に鋭い痛みが走った。ルナマリアは一瞬なにが起こったのか理解できなかった。よくみるとメイリンが地面に足を踏ん張って手を振りかざしている。自分はメイリンにビンタされたのだ、と気付いた瞬間に怒涛のようなメイリンの声が公園に響いた。

 「お姉ちゃんの弱虫!!それでも元ZAFTの赤服なの!?」

 メイリンはぼろぼろと涙をこぼしている。その涙を見ているうちにルナマリアの双眼からもいつの間にか涙がこぼれていた。
 メイリンは言葉を続けた。
 「今日ね、駅裏のマクドナルドの店長さんに事情を話して頼んできたんだ。16歳で未成年だけど、働かせてもらえないかって。そしたら店長さんわたしの眼をじっとみつめて「いいよ。特別に18歳として扱ってあげるから明日からきなさい」って。メイリンがこんなに頑張っているのにお姉ちゃんったら、いくじなし!」

 ルナマリアは自分を恥じた。そして、あやうく風俗嬢に身を堕しかけた自分を糾(ただ)してくれたメイリンに心の底から感謝した。

 「お姉ちゃんの特技ったらメカの操縦じゃない!?なんでそのことを仕事にしないの!タクシーで駄目だったらザクシーでもいいじゃない!!」

 このメイリンの一言にルナマリアの脳裏で閃くものがあった。現在のタクシー業界もリストラされたサラリーマンの流入で厳しいことを知っている。しかしもしタクシー会社の社長に頼みこんで、タクシーにザクのペイントをしてみたらどうだろう。ボンネットにザクの頭を描き、ドアにザクの手とマシンガンを描き、後部ナンバープレート上にザクの足を描くのだ。そして自分は捨てきれずにとっておいたZAFTの赤服を着る。コスプレタクシーではない。これこそ本場本物の「ザクシー」だ!、、、これならば少なくても『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』を観ていた人なら乗ってくれる。そうだ、これならば「いける。」・・・

 ルナマリアはメイリンの眼をじっとみつめた。「アリガト。メイリン。お姉ちゃん、メイリンの一言で目が覚めた。やるよ。頑張って。「ザクシー」の運転手、やってみる。」

 メイリンもルナマリアの言葉に続ける。「うん、メイリンもマクドのバイト頑張るから。お姉ちゃんも頑張って。」


 時は五月、一年で一番気持ちの良い季節だ。
 春の微風が皮膚に心地良い。

 その五月の夜空の下の公園で一度は挫折した人生に二人の若者が再出発しようとしている。ルナマリアとメイリン、彼女たちの新しい出発に読者よ。心から喝采を送ろうではないか。


 「帰ろう!明日も早いからもう寝るよ!メイリン、わたしたちのアパートへ!」
 「はい、お姉ちゃん、メイリンも一緒に行く!」


 もはやパンの耳一枚の空腹など全く気にならなかった。今、新しい人生の門出を迎えたルナマリアとメイリンの四つの眼が小さな小さな高円寺の公園の夜闇(やあん)でキラリと輝いた。

   

 

(2006年5月18日(木)・(C)黒猫館&黒猫館館長)