理論構築

 

 

(ガードノイド・K)

 

 ようこそ。そして初めまして、諸君。わたしが今回旧ソ連邦モンゴル自治区から黒猫館に召喚されたガードノイド・Kという者だ。よろしく頼む。

 さてわたしの職務は黒猫館の館長夫人にしてこの獄の獄長、ミストレス・影姫の補佐・身辺警護ということになっている。しかしそれは建前だ。わたしの職務はこの獄においては、もっと本質的だ。

 さてミストレス・影姫がこの獄を一人で仕切っていた頃、ここは単なる「SMクラブ」の延長のようなものだったという。そのことはすでにわたしが無用者として処刑した奴隷「ジム」「山崎」から聞き出してある。ちなみに双子の奴隷「優希」「玲希」についてはミストレス・影姫の恩赦によってすでに解放された。「SMクラブ」わたしはそのような自堕落なものは好まない。例えミストレス・影姫がそのような場所を望んでいたとしてもだ。わたしはミストレス・影姫に対してある程度の発言権を持つ。なぜならわたしを召喚したのは他ならぬ黒猫館の主、「黒猫館館長」だからだ。彼の温厚な仮面の下に隠された冷徹な素顔を知っているのは黒猫館ではこのわたしと実弟である三毛猫室長ぐらいだろう。

 わたしの方針を簡略に述べるならば基本的にわたしは「SM」などという遊びを此処でやるつもりは毛頭ない。わたしが遂行する職務は「DS」(支配-服従)の実践だ。

 かってわたしはシベリア抑留地で捕虜となった日本人の典獄を務めていたこともある。その頃わたしはまだ若かったせいもありありとあらゆる拷問を捕虜に対して行ったものだ。青年期の性的欲情と残虐性は結合しやすい。しかしその後の自己鍛錬によってわたしは人間的な欲情を滅却した。今現在のわたしは残忍な欲情に駆られて拷問を行うことはない。人間における苦痛の尺度に精通しているわたしはあくまで適当な分量の苦痛をこの獄の奴隷に分け与える。なんのために?その奴隷を「改造」するためにだ。

 ミストレス・影姫は奴隷を「調教」するという。しかしわたしの「改造」は根本的な概念からして「調教」とは違う。わたしは奴隷をフランツ・カフカ流にいうならば「血の詰まったブヨブヨの袋」としてしか認識しない。そのような血の固まりを「有益な」「役に立つ」「シャキッとした」「キビキビした」「打てば響くような」「労働力となる」言葉の真の意味における奴隷へと改造する。それがわたしの第一の指針だ。そこにはなよなよした女性的な「責め」「調教」といったサッカリンのように甘ったるい行為が入る余地は一部もない。わたしは此処にいる男たち(あえて敬意を込めて此処でだけ男と呼ぼう)を「真人間たる」「眼の澄んだ」「労働によって鍛え上げられた」「命令には不言実行の」真(まことの)男へと改造する。その過程で男たちは血の涙を流すだろう。それほどわたしの「改造」は厳しい。落ちこぼれには然るべき分量の苦痛を与える。例えば全身の皮を剥ぐ。この程度は軽く行う。そのような「厳しさ」「烈しさ」「男らしさ」がわたしの信条だ。

 そしてわたしによって「改造」された奴隷たちは黒猫館のある目的のための戦士となる。この計画を仮に「Y計画」と呼ぼう。しかしその全貌は黒猫館館長とわたしだけが知っているトップシークレットだ。ミストレス・影姫でさえこの「目的」は感知していない。

 さてわたしがこの獄に召喚された理由は以上だ。しかしこの獄の獄長はあくまでミストレス・影姫だ。彼女の意志は最大限に尊重するつもりだ。「SM」というあそびをすべて廃止するつもりもない。要するにミストレス・影姫が奴隷に飴を与える女神だとしたら、わたしは鞭で打つ鬼神だ。もっとも現実にはわたしは「鞭で打つ」などという女々しい行為はしない。その代わりに鉄の棒で脳天を叩き割る。

 「豚男」「隷」「アンクル・トム」「ヤプー1号」「水着フェチX」「怪人M」、現在登録されているこの六人に対してわたしはまずふやけた根性を叩きのめすことから始めたいと思う。もう此処はなまっちょろい「地下牢獄」ではないのだ。あくまで「真人間製造」のための獄「私立男泣島矯正院」だ。そこのところを肝に銘じておくことだ。

 さて「改造」の日々が始まる。血の滴るような努力。これのみが奴隷をいつの日か完全なる改造人間へと「熱した鋼鉄を打つ如く」「スジガネ入りに鍛え上げられる」だろう。

 以上。

(2002年10月25日)