パレードは何処までも続いてゆく
(サウンドホライズンのアルバム『エルシオン』)
先日、秋葉原のパセラで友人Aとカラオケをやってきた。
もちろん楽しいひと時だったことは言うまでもない。
しかしその途中で気になることが一点あったので、この文章で書き留めておく。
わたしが幻想楽団「サウンドホライズン」の『エルのパレード』を唄った直後に友人Aがこう言った。
友人A「実は俺、昔からパレードというものに憧れているんだ。。。」
わたしは諸手を打って友人Aに応答した。
わたし「君もか!?実は俺もパレードに憧れているんだ!!」
このとき、友人Aとわたしの間に奇妙な暗合が交錯した。
実はわたしは幼い時分からパレードに対してあるイメージを持っている。
道化師が笛を吹く。
のっしのっしを練り歩く白象(はくぞう)。
弁髪の中国人の曲芸師がばく転する。
そしてパレードの行く手には紅い夕日。
パレードは見物人を巻き込みながらどこまでも続いてゆく。
このような原風景(人の心の奥にある原初の風景。懐かしさの感情を伴うことが多い。また実在する風景であるよりは、心象風景である場合もある。個人のものの考え方や感じ方に大きな影響を及ぼすことがある。)をわたしと友人Aが共有していたとは驚きである。
もしかしたらパレードというものの持つ独特なイメージはあるいは多くの人の幼年期のぼんやりとした記憶として胸にしまわれているのかも知れない。
それは幼き日に見た現実のパレードかもしれないし、寝る前に読み聞かされた絵本の中の風景であるのかも知れない。
しかし幼年期の甘い記憶がしばしば残酷なイメージで彩られているのと同じように、わたしの持つパレードのイメージも不吉な凶兆に彩られている。
あのパレードの行き着く先、紅い夕日が沈む場所にあるものはもしかしたらとほうもない悲劇であるのではあるまいか。。。?
『少年十字軍』
『ハーメルンの笛吹き男』
『アウシュビッツへ至る死の行進』
海へ飛び込んでゆくレミングの群れのような不吉なイメージが連鎖する。
それでもわたしはパレードへの異常な渇望を抑えることはできない。
読者の諸君。
もし、ある日忽然とわたしが姿を消したら、それはパレードに加わってどこかへ行ってしまったものと思ってくれ給へ。
嗚呼、パレードはどこまでも続いてゆく。
見物人たちがひとりまたひとりとパレードに加わってゆく。
顔面真っ白な道化師の鋭い奇声。
ヴェネチアン・マスクを被った男がパレードの先頭で舞い狂う。
そしてパレードの行く手には紅い夕日。
嗚呼、パレードはいつまでも、どこまでも、果てしなく続いてゆく。。。
(黒猫館&黒猫館館長)