山に登る少年
(2013年8月30日)
「一番怖い話は何か?」
東京にある友人Aがいる。
この友人Aは映画「ヘルレイザー」の大ファンであったり、楳図かずおのサイン本を沢山持っていたり、マシュー・グレゴリー・ルイスの暗黒小説
『マンク』(国書刊行会)を「小説という藝術における最高傑作」に決め付けていたりと、まあちょっとした変わり者なのであるが、「怖い話」が好きという点
でわたしと趣味が合った。
その友人Aと「一番怖い話は何か?」という議論になったのである。まあ単純な流れである。
友人Aとわたしは「猿の手」だの「くだんの母」だのが怖い、と議論を重ねたあげく、最後に「山に登る少年」という話が一番怖い、という結論に達した。
ご存知ない方のために説明するとこの「山に登る少年」とは阿刀田高もエッセイで紹介している「実話」で怪談ファンの間では「知る人ぞ知る話」であるらしい。
その内容はこうだ。
あるMさんという登山愛好家がいる。
このMさんが山に登り下山する途中だったという。
かなり嶮しいコースでMさんは疲れ切っていた。麓の村まであと3、4キロ、季節は晩秋、夕暮れ時。
冬枯れた山をMさんは一歩一歩山を下っていた。
その時、下のほうから誰か登ってくる。
すると登ってきたのは丸坊主の少年だった。
「えッ?」
Mさんは一瞬ポカンとした。その光景が現実とは思えなかったそうである。
少年は一心不乱に山頂を目指している。
なんのために?
どこに行くのか?
そう思っているうちにも少年はMさんの脇を通り抜けてなにか憑かれたようにひたすら登り続ける。
「山に登る少年」はこれで終わりである。
ただこれだけの話である。
この話のどこがそんなに怖いのか?
怪談といえば「幽霊譚」が通例である。
幽霊譚とは死んだ人間がこの世に出てくる、という話である。もっと単純に言うと「いてはならないものがいる話」あるいは「いなくてはならないものがいない話」である。
幽霊譚も妖怪の話も大抵の怪談や都市伝説はこのパターンである。
しかし「山に登る少年」にはこの怪談の「黄金ルール」が通用しない。ただもくもくと「山に登る少年」の姿が描写されるのみである。
わたしも友人Aもこの話は心底怖いと思った。
なぜなら一切のオチもなければ説明もない。この話は合理的説明の一切を拒絶しているのだ。そして読者に与えられる「山に登る少年」への無限の想像。
「彼はなんのために山に登るのか?」
このことを考え出しただけでわたしには奮えがくる。なぜ奮えがくるのかも良くわからない。
「幽霊譚」を突き抜けたもっと怖い話、そのような話をわたしはもっと聞きたい。そのためにわたしは今日も怪談サイトで憑かれたように怪談を漁る。
わたしのその行為にも合理的な理由はない。
(黒猫館&黒猫館館長)