いるのいないの
(2013年8月12日)
京極夏彦&町田尚子『いるのいないの』(岩崎書店)
京極夏彦文&町田尚子絵のコンビによる怪談絵本『いるのいないの』(岩崎書店)が現在の絵本界でちょっとしたブームになっているそうである。
なんでも「コドモだけではなくオトナも怖い本格的怪談絵本」という触れ込みで書店では飛ぶように売れているらしい(2013年8月現在)。わたしは明日にでもさっそくこの絵本を書店で実際に手にとってみたいと思っている。
この本の書影を見るとカバーの絵がなんとも不気味である。
従来の絵本の世界ではちょっと見なかった雰囲気のある絵である。
SM雑誌の挿絵画家から出発して絵本作家になった片山健の初期名画集『美しい日々』(幻燈社)を連想してしまう画風である。
さて絵もさることならば、この本の題名「いるのいないの」がなんとも気にかかる。
この七文字のワンフレーズだけでわたしは背筋が寒くなる気がする。
題名だけで読者を怖がらせるとはさすが当世の人気怪談作家・京極夏彦の面目躍如である。
それではなぜ「いるのいないの」というワンフレーズが怖いのか。
これはなかなか本質的な問題である。
怪奇的なイメージ溢れる名詩集&吉原幸子著『幼年連祷』(歴程社)のなかにこういう短詩が出てくる。
「無題
おそろしいこととはゐることかしら それともゐないことかしら」
詩集『幼年連祷』より引用。
この詩の作者である吉原幸子氏は「いる」ほうが怖いか?「いない」ほうが怖いか?と読者に問うているのである。
わたしは「いる」ほうが怖いと思う。
「密室に閉じ込められた、、、すると暗闇の中に何かいる。」>これだけで十分怖いシチュエーションである。
しかし大抵のオトナはそう答えるらしいのだがコドモは違う。
「いない」ほうが怖い、と答えるコドモが多いそうである。
この「いないほうが怖い」という感覚は、元日の朝に世界中の人間が全員消えていたというオチで終わる怪奇短編漫画「元日の朝」(日野日出志&ひ
ばり書房)や地球上の人間がすべて吸血鬼に滅ぼされる怪奇長編小説『地球最後の男』(リチャード・マチスン&早川文庫)などを読めば大体のテイストは掴め
るであろう。
要するに「いる」のも怖いし「いない」のも怖いのだ。
「いるのいないの」というこの怪談絵本は「どっちを選んでも逃げ場なし」の閉塞感を感じさせてくれる。そういう意味でこの七文字の題名は怖いのだ。
さらにもっと深く熟考すれば「いるべき場所にいない」&「いないはずの場所にいる」>これが怪談の本質だということがわかってくる。
このことは心霊写真の例で簡単に説明できる。
1>「いつも元気なA君が修学旅行の集合写真で写っていなかった。その直後にA君は交通事故で死んだ。」
2>「修学旅行の集合写真で一年前に病気で死んだB君が写っていた。」
1の例文が「いるべき場所にいない」例であり、2の例文が「いないはずの場所にいる」例である。こういう風に考えると「いるのいないの」という題名の怖さはもっと複雑でパラドキシカルなものであるようだ。
さてたった七文字の題名だけで読者の肝胆を寒くさせる怪談絵本『いるのいないの』、内容はもっともっと怖いに違いない。
今年の夏は『いるのいないの』を読んで涼しくなろうとわたしは思っている。
(了&合掌)
(黒猫館&黒猫館館長)