ルチオ・フルチよ永遠に
(講演日=2013年1月18日)
(↑『墓地裏の家』日本版DVD)
「メイ、またお客様がいらっしゃるわ。ボブに教えてあげるのよ。我がフロストステイン家の悪魔の接待法を。」(映画『墓地裏の家』のラストシーンのセリフ)
それはわたしが今よりもっともっと若かった頃の話。・・・
いつも季節は冬だった。
鉛色の空。悪意のように降り積もる雪。
そんな雪と泥が混ざり合って茶色いぐちゃぐちゃの道路を自転車のわたしが往く。
高校時代の帰宅途中、わたしは必ずレンタルビデオ店でVHSのビデオを借りるのであった。
80年代当時のビデオレンタルの相場は一泊二日で1000円。それでもわたしは全く「高い」とは思わなかった。なぜなら、そのビデオの中だけがわたしの逃げ場だったのだから。
自宅ではいつも父と母がケンカしていた。
悪辣な子供に引きちぎられるカエルの最期の絶叫のような不快な叫びの連続!
わたしは自室で耳を塞いで転げまわっていた。
その当時、わたしの高校での成績は最悪に近かった。
クラスでは45人中、44位。それがわたしの成績の定位置であったのだ。
この成績のことで親に怒鳴られたわたしは徐々に表情を無くしていった。そして世界へのどす黒い悪意を毒入りのトウモロコシのごとく心の中で育んでいた。
そんなわたしが唯一、逃避できる場所がホラー映画の世界であったのだ。
父と母が寝静まった深夜、わたしは夜な夜なイヤホンをTVに押し込むとホラービデオを観る。そしてたったひとつの『娯楽』に興ずるのであった。
なぜならわたしには友だちがひとりもいなかったし、趣味と言える趣味もなかった。ただひたすら悪意の詰まったホラービデオを観ること、それだけがわたしが
この世に生きる証であった。
ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』、デビット・クロネンバーグ『ビデオドローム』、デビット・リンチ『イレーザーヘッド』、ダリオ・アルジェント
『フェノミナ』、単なる偶然ではないだろう。わたしが高校時代に鑑賞したホラービデオは異常な率で傑作が多いのだ。その理由はおそらくひたすらこの世を
呪っていたわたしの思念がこれらの傑作ホラービデオを呼び寄せたものだと思う。
しかしわたしが真に好んだホラー監督は上記の者たちではなかった。
わたしが真に好んだホラー監督はルチオ・フルチ、現在でこそ評価が定まったとはいえ80年代当時は「イタリアの職人ジジイ」と呼ばれてホラーファンからも忌み嫌われていた監督であった。
確かにルチオ・フルチの映画にはロメロのような社会風刺、クロネンバーグのようなテクノロジーへの警鐘、リンチのような映像美、アルジェントのような貴族的美学は全く存在していなかった。
そこにあるものは「内蔵吐き出し」(『地獄の門』)、「蜘蛛に顔面を喰い破られる女」(『ビヨンド』)、「ゾンビに眼球を引きずり出される男」(『サンゲリア』)といったハイパー残酷描写のオンパレードであったのだ。
これらのどす黒い残酷描写を観て「ききき・・・」と畸形の猿のような笑い声を押し殺すのがわたしの毎夜の流儀であった。
そしてここが最も重要な点なのであるが、フルチの映画には「ストーリーが存在しない」、いやもっと正確にいえば「ストーリーを超越している」。
ストーリーなどという小賢しいものはフルチの映画の世界では意味を為さないのだ。精密で論理的なストーリーよりももっと遥かに深い、わたしたち人間が胎児
だった頃の血みどろの記憶、そのようなものがフルチの映画を観ることによって、遠い場所から呼び覚まされる。
まるで自分の内臓をむりやり見せ付けられるように。
そんな自虐的な快感を想起させるフルチの映画にわたしはひたすら夢中になった。
「地獄の門」「ビヨンド」「サンゲリア」「墓地裏の家」、これらフルチ絶頂期の傑作群は一貫して「地獄の門の開門」がテーマになっている。
わたしもまた胎内でまどろむ胎児のように夢に見ていた。
あの悪魔のような学校の教師や生徒たちが、地獄の門から這い出してきたゾンビたちに喰いちぎられることを。
そしてわたしがフルチの映画の中で一番好きな「墓地裏の家」をわたしは自分の家に投影していた。かっておぞましい人体実験の舞台となったフロイ
トスタイン家。。。それがあたかも父と母のおぞましいケンカが絶えない火宅(煩悩や苦しみに満ちたこの世を、火炎に包まれた家にたとえた語)であるわが家
でもあるかのように。。。
高校を卒業してわたしは神奈川県の某大学に進学した。
そしていつのまにかホラー映画から遠ざかっていった。
そしてルチオ・フルチの映画の記憶もすこしづつ記憶の砂によって埋もれていった。
しかしわたしは今後またルチオ・フルチの「黒い」傑作群を観返そうと思っている。
なぜならフルチの映画の風景こそわたしの原風景(原体験におけるイメージで、風景のかたちをとっているもの。)であるのだから。
飛び散る血糊。
爆発する頭部。
口から吐き出される内臓。
ゾンビによって引きずり出される眼球。
これがわたしの原体験(その人の思想が固まる前の経験で、以後の思想形成に大きな影響を与えたもの。)であったのだ。どんなに陰惨で目も当てられないものであったとしても。これらがわたし自身そのものであったのだ。
「人は自分の運命からは逃れられない。」
この言葉がフルチの座右の銘であったという。
わたしもまたルチオ・フルチの世界から一生逃れることはできないだろう。
そしてあの世で魔王・フルチは笑っている。
地獄の門が本当に開くそのとき。そのときは近い。かぎりなく近い!
嗚呼、本当に地獄の門が開く日は来るのであろうか。
わたしは今日も地下の宮殿で無数のゾンビたちを従えて、魔王フルチが眠るイタリアの地からあまりにも遠い、寒い寒い極東の地で待っている。震えながら。エイズに冒された猿のように両眼を血走らせながら。
「地獄の門」が本当に開くその日のために。
(了)
(黒猫館&黒猫館館長)