花闇

 

 陽春・四月のある晴れた日の午後。
 小学生のわたしは友の家へ向かって歩いていた。
 どこまでも続く花園、青空。
 遥か遠くに見える翠の山々。
 視界に見えるすべてがさわやかな陽春を表出していた。


 さみどりの花園の迷宮の果て、その家はあった。
 木造の大きな家。
 いや、家というより昔の「館(やかた)」を連想させるような豪勢な建物であった。
 ただその古さだけが、豪勢な雰囲気に陰翳を落としていた。

 「鬼さん、こちら、手の鳴るほうへ・・・」

 そんなささやきが花園のあわいから湧き出ては消えてゆく。

 それでもわたしはちっとも怖いとは思わなかった。

 わたしは晴れた日の午後から、人外の時間へと足を踏み入れたのかもしれない。
 夜と昼の狭間に揺らめく子どもだけが知る時間。
 そんな時間の中をわたしはゆらゆらと水槽の中の熱帯魚のようにさまよい続けた。

 「クツクツクツ・・・」
 耳を澄ますとと館の台所から鍋の煮え滾(たぎ)る音が聞こえる。
 
 どのくらい時間が経ったであろうか。
 いつまで経っても誰も現れないことにわたしは気づいた。
 相変わらず鍋の音だけが聞こえる。
 蝉の鳴く声。
 太陽はいつまで経っても頭の天辺で輝いていた。

 その時、突然怖くなったわたしは花園に向かって駆け出した。
 右へ、左へ、斜めへと、記憶だけを頼りに走り続けた。
 花園を抜け、森を抜け、ささやかな民家が見えてくる。
 民家の隙間からひょっこりと顔を出すとわたしは大通りへ出た。

 大通りで泣いていたわたしは川べりの土手で泣いているところを補導された。
 両親が迎えにくるまでの長い長い空隙。
 わたしは子どもながらに思った。
 あの友のいない廃屋はわたしの将来を予告したものではなかったのか。

 暗い花闇に置き忘れられたわたしは今もあそこで泣いているのではないのか。



 深夜2時。
 わたしの思索の時間は終わる。
 明日も早い。
 早く就寝しなくては。

 ベットに入り灯りを消す。
 その瞬間に聞こえてくるわたし自身の泣き声。

 <タスケテヨー タスケテヨー >

 そんな泣き声にまどろみながらわたしは眠りへ落ちてゆく。
 2007年ももうすぐ終わる。
 悪戯に歳を重ねてゆきながも、今もわたしはあの花闇で泣いているのではないか。

 <タスケテヨー タスケテヨー >


眠りに落ちる瞬間、その泣き声は確かに現在のわたしに助けを求めていた。

<タスケテヨー タスケテヨー タスケテヨー>

冥い夢の中までもあの声は追ってくる。

いつまでも。

どこまでも。

 

 

(2007年12月28日)
(黒猫館&黒猫館館長)