暗愁の秋に
(新訳版)
11月である。
もう夏の残滓はことごとく消え去った。
午後から降りだした雨が深夜の窓を濡らす。
風が雨戸をゆする
時としてみぞれが窓に当たる。
冬が来るのだ。
わたしの住んでいる地方では12月に入るともう晴れるということがない。
曇天か雨か雪が4月あけまで延々と続くのだ。
鬱々とした日々が続く。
いや、鬱々というより暗愁に充ちたと言ったほうが正確か。
気分が重くなる。
街行くひとの顔も皆かなしげだ。
※ ※
1960年12月深夜、学生歌人・岸上大作は服毒縊死という特殊な方法で自殺した。
享年21歳。
岸上大作の遺書 、「ぼくのためのノート」は白玉書房刊遺稿集『意思表示』に収録された。
『意思表示』は絶版後に思潮社から出版された『岸上大作全集』として新装され、
現代でも悩める若者たちに黙々と読み継がれている。
一般的見解では岸上大作の自殺は失恋自殺であると解されている。
事実そういう表記が「ぼくのためのノート」に存在するのだ。
しかしわたしはこの自殺は失恋だけが原因ではない、とにらんでいる。
岸上大作はこの世界全体を被いつくそうとする暗愁の影に影響されたのでなかったのか。
なにかモヤモヤした黒雲、
そういったものがわたしのウシロに立っているのをいつも感じる。
そしてその黒雲の力は秋から冬にかけての11月に最も大きく発達するのだ。
黒雲は蹴散らしても蹴散らしても、すぐにその破片のひとつぶひとつぶが引っ張り合うようにしてたちまち結合する。
逃れる術はない。
ならばわたしはその黒雲を背負って生きるしかない。
暗愁の影の真ん中に自分を置く。
そうすればかすかに、非常にかすかにその闇のはるか向こうで打ち振られる
松明のようなものが見える。
闇のなかにいるからこそ見える光。
そのとおり、苦悶に喘いでいるのは自分だけではないのだ。
岸上大作のように自殺するのも自由だ。
またあえて生きることも自由だ。
それは単に選択の問題でしかない。
ならばわたしはもう少し生きてみようと思う。
理由などない。
ただその選択に賭けるのだ。
11月。
SF作家・ブラッドベリーは「10月は黄昏の国」と言った。
わたしはブラッドベリーに抗してこう言おう。
「11月は暗愁の国。しかし時間まだある。」と。
(黒猫館&黒猫館館長)