方丈の舟
深夜1時。
家族全員が寝静まってから、わたしは机に座す。
その時間は一日のうちでただひと時の、わたしに許された精神の時間である。
自己修練。
その時間、わたしはそれを自らに課す。
机の上にある一冊の本。
鴨長明『方丈記』(岩波文庫)。
その本はこのように始まっている。
「行く河の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。」
鴨長明は最晩年に「方丈」、つまり当世風に言えばたった四畳半の家を建て、
仏道への帰依を願いながら
そこでこの『方丈記』をしたためたという。
打ち続く中世の暗黒時代。
戦乱。
飢饉。
疫病。
その方丈の家はそんな時代のよどみにうかぶ
小さな、あまりに小さな「方丈の舟」のようだったのであろう。
鴨長明の晩年の生き様は現代の高度資本主義社会に生きるわたしに鋭い教訓を与える。
人間の心など方丈ほどの広さしかない舟だ。
しかもその方丈の舟の外にはどす黒い暗黒の大海が広がっている。
暗黒の大海は妖しく煌めく。
大都会のどぎついイルミネーション。
人心を惑わす奇ッ怪な書物の群れ。
サバイバル・ナイフがぎらつく。
ビルとビルの狭間のくらがりで絡み合う男女。
雑居ビルの一室から漏れ響く鞭音。
際限なく鳴り続ける携帯電話。
暗黒の大海が映しだすこれらの幻影は、
もしかするとわたしの心の鏡であるのだろうか?
狂気の混沌に浮かぶ方丈ばかりの小さな舟。
こんな小さな舟の上で正気を保っているよりも
いっそこの小さな舟から身を投げ出して、
狂気に身を委ねたほうがどれほど楽であろうか。
しかしわたしはあえてこの小さなみすぼらしい方丈の舟で、
困難な航海を続けるだろう。
わたしには希望がある。
この小さな方丈の舟がいつか大いなる豊穣の大地の岸辺に打ち上げられることを。
その大地にあるものは普通の人間の普通のささやかな暮らしだ。
親は子を慈しみ、
子は親を尊敬する。
師は弟子に香ばしい真理を伝え、
弟子は無心に師の言葉を聞き入る。
若者は未来の夢について語り合い、
老人は穏やかな老境のなかで安らいでいる。
わたしはあくまで信じよう。
あくまで正気を保ち、地道な努力を怠らないならば、
ひとはいつか穏健な豊穣の大地へと到達できる。
深夜2時。
わたしの精神の時間は終わる。
『方丈記』を閉じたわたしは本を書棚に差込む。
そして合掌する。
小さな小さな方丈の庵で晩年を終えた鴨長明のために。
わたしに生きる指針を与えてくれる『方丈記』のために。
こうしてわたしの一日は終わる。
(決定稿2005年3月26日)