春の水葬

 

しんしんと雪の降る真冬の夜。

わたしはゆっくりと眼を閉じる。
深い深いトンネルの中を下降してゆくように、
暗闇の中、時間が遡行を始める。

いつも季節は冬だった。
ただ雪の降る白いだけの風景。

その場所にいつもわたしはひとりでいる。

30歳のわたし。
人生に疲れた顔をしている。

20歳のわたし。
人生は終わったと確信している。

10歳のわたし。
生まれてこなければ良かったと口癖のように言っている。

0歳のわたし。・・・
暗闇がひび割れる
無数の不吉な鴉の群が羽ばたく。

そして。

一番初めはただ安らぎだけがあった。
しかしいきなり節くれだった荒々しい手がわたしの頭をむんずとつかんだ。
その瞬間、血と粘膜が飛び散った。

わたしは田舎の赤茶けた産婦人科医院で目覚めた。
その日も確か冬だった。

その瞬間。
喜びとかなしみという不吉な双子がわたしの頭に寄生した。

それから。
いつもそうだった。

喜びを抱けばすぐにかなしみがくる。
かなしんだわたしはすぐに喜びを乞い求める。
喜びとかなしみの奇妙な天秤。
それはわたしを延生させるための巧妙なからくり。

だから。
わたしはもう喜ぶことも、
かなしむことも止めるだろう。

そうして少しづつ希薄になってゆくわたしを、
引き止めるのはやめてくれ。

わたしは還ってゆくのだ。
霧に閉ざされた森の中の湖に水葬される死者のように。


†                 †

ある、すがすがしい陽光差し込む春三月。
わたしは姿を消すであろう。
そうしてそのことを気に留めるひとは誰もいない。
ただ庭にいる小鳥のさえずりだけが聞こえる明るい部屋は静かだ。

そうして生きることの好きな新しい住人が入ってきて、
幸福な活き活きとした新生活を始めるだろう。

 

(決定稿2005年1月26日)
(1月27日微少に改訂)